魚介類に含まれるメチル水銀と食の安全性
魚介類に含まれるメチル水銀と食の安全性
2005年11月の厚生労働省「妊婦への魚介類の摂取と水銀に関する注意事項」と課題整理
学校給食ニュース2007年10月号をホームページ向けに改変して掲載
厚生労働省は、2005年11月に「妊婦への魚介類の摂食と水銀に関する注意事項」を発表し、
胎児へのメチル水銀による健康影響を避けるために妊婦にメチル水銀を多く含む魚介類についての食べる量を気をつけるよう注意を促しました。
これは、2003年6月に公表した「水銀を含有する魚介類等の摂食に関する注意事項」を、
食品安全委員会のリスク評価の結果を受けて見直ししたものです。
この注意事項では健康に影響が考えられる対象となるのが「胎児」であるため、実際の対象者は
「妊娠している方又は妊娠している可能性のある方」です。
乳児をはじめ、子ども、対象外の大人については、この注意事項の対象となっていませんが、学校給食の関係者の関心も高いことや、
「和歌山県太地町の学校給食にクジラ肉、規制値を超える水銀が」といった投稿も寄せられていることから、特集を組みました。
他の食品の安全についても同じことですが、
「メチル水銀は危険 → 魚介類にはメチル水銀が含まれる → 魚は食べない」といった一足飛びの結論に飛びつくことなく、
この問題を理解し、関係者で学び、役立て、考えていただければ幸いです。
●厚生労働省の「注意事項」
まず、以下の「注意事項」をご一読ください。
厚生労働省「妊婦への魚介類の摂食と水銀に関する注意事項の見直しについて」
http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/iyaku/syoku-anzen/suigin/051102-1.html
妊婦への魚介類の摂食と水銀に関する注意事項(PDF)
http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/iyaku/syoku-anzen/suigin/dl/051102-1-02.pdf
●解説
【魚介類と水銀】
水銀は、自然界に天然に存在する成分で、人間活動による汚染がなくても、環境中の微生物によって無機水銀がメチル水銀に変化し、
食物連鎖によって魚介類に取り込まれます。そのため、食物連鎖の上位にいる生物ほど体内に多くメチル水銀が含まれることになります。
化石燃料の燃焼、硫化鉱の精錬、セメント製造、ごみ焼却など人間の産業活動によって水銀の環境中への放出は増えています。
【水銀の健康影響】
水銀の健康影響といえば、水俣病が真っ先に思い出されます。水俣病は、
工場排水に含まれた高濃度の水銀が海中の微生物によってメチル水銀となり、魚介類を通じてとても高い濃度で人に取り込まれ、
脳や神経系に達して重い障害を与えた食品中毒(メチル水銀中毒)であり、公害事件です。水俣病では、
胎盤を通じて胎児にメチル水銀が取り込まれ重い障害を受けた患者(被害者)もいます。
今回の「注意事項」は、日常の摂取における低濃度の摂取でも起きる健康被害を避けるためのもので、水俣病のような高い濃度・
量を摂取したことによるメチル水銀中毒とは一線を画しておく必要があります。
ちなみに、水俣病の原因となった海域では水銀を封じ込める対策がとられ、その後水銀含有量を調査した上で、漁業が再開されています。
【メチル水銀の毒性について】
農林水産省が公開している「食品安全に関するリスクプロファイルシート(化学物質)」2006年7月14日版の「メチル水銀」の項目では、
メチル水銀の毒性について
「急性毒性 メチル水銀:体内量1,000mgで致死、体内量100mgで中毒死
長期毒性 ・中枢神経系への影響
求心性視野狭窄、聴覚障害、構語障害、運動失調がみられる。
暴露が軽度の場合、知覚異常や倦怠感があらわれる。
これらの症状が発生する体内負荷量の閾値は、知覚異常では25mg、運動失調50mg、構語障害90mg、聴覚損失180mg、
死亡200mg以上とされている。
また、WHOは、成人では血中水銀濃度で200μg/L(毛髪水銀濃度では50ppm に相当)
で知覚異常等神経学的な影響のリスクが5%であるとしている。
・最も鋭敏な影響
メチル水銀の暴露の結果として、神経発達が最も感受性の高い健康影響であり、
子宮での発達段階が神経発達毒性における最も影響の大きい時期」
としています。
■胎児に与える影響について
この「注意事項」では、胎児に与える影響について「あるとしても将来の社会生活に支障があるような重篤なものではありません」
としています。「重篤」というのは、水俣病の患者(被害者)のような重い障害を言うようです。
一方、考えられる影響について、「Q&A」では、「例えば、7歳児になった時、
音を聞いてから耳から脳幹へ伝わる神経の反応が1/1000秒以下のレベルで遅れるといったもので、
日常生活に大きな影響を与えるものではありません」「胎児期に低濃度のメチル水銀の曝露を受けた7歳児において、
臍帯血水銀濃度の増加に伴って、*運動機能、注意、視覚空間、言語、
言語記憶の各テストの得点が相対評価4段階のうち下位の子供の割合が若干増加したとの報告があります。しかし、
これらのテストの参加者は成績が下位であっても健康上問題はなかったとも報告されています」としています。
メチル水銀による影響は、脳や神経に直接障害を与えるもので、それが運動機能や言語など脳の機能に影響を与えることになります。
【暫定的規制値】
日本では、魚介類に含まれる水銀の規制値は、1973年(昭和48年)に厚生省(当時)が示した「暫定的規制値」があり、
この数値は現在まで継続されています。
総水銀0.4ppm メチル水銀0.3ppm
ただし、マグロ類(マグロ、カジキ及びカツオ)、深海性魚介類等(メヌケ類、キンメダイ、ギンダラ、ベニズワイガニ、
エッチュウバイガイ及びサメ類)及び河川産魚介類(湖沼産の魚介類を含まない)については適用外
この暫定規制値を設定した通知文書では、暫定的規制値をこえた魚介類は廃棄、販売の自主規制などを行うよう求めています。また、
「マグロ類その他の魚介類を多食する者についても食生活の適正な指導を行なわれたい」としています。
【耐容摂取量】
今回の「注意事項」見直しのために食品安全委員会は、魚介類等に含まれるメチル水銀についての食品健康影響評価を行いました。
その結論として、健康に影響が考えられるハイリスクグループを「胎児」となり、「胎児」以外の乳幼児、子ども、
大人は現在の食生活では健康に影響があるとされませんでした。
そして、ハイリスクグループが「胎児」であることから、1週間にどのくらい食べていいかを決める「耐容週間摂取量」の対象者を、
「妊娠している方もしくは妊娠している可能性のある方」として、「耐容週間摂取量」をメチル水銀
2.0μg/kg体重/週(水銀として)と決められました。
【平均摂取量】
日本人の平均的な水銀摂取量は、厚生労働省の調査で、1994年~2003年の平均で総水銀量8.4μg/人/日
(1.2μg/kg体重/週)となっており、魚介類からは84.2%(2003年)摂取していることになっています。
しかし、食品安全委員会の報告書では、「但し、これは平均値の比較であり、実際の摂取量の変動幅のデータは無い」としており、
魚介類を多食する人がどのくらいいるのか、地域差などのデータではありません。
なお、メチル水銀は、体内に吸収された後、自然に排出されます。このメチル水銀の生物学的半減期は70日程度とされています。これは、
吸収されたメチル水銀が排出され半分になるまでの時間です。排出される量よりもたくさん摂取することで影響が大きくなります。
【マグロ】
前回の2003年6月の時には、「マグロ類」は注意事項の対象になっていませんでしたが、今回対象になったことについて、厚生労働省は、
「従来の耐容量3.4μg/kg体重/週が、2.0μg/kg体重/週に引き下げられた」ことと、
マグロ料理は1回に食べる量が多いことが分かったことからだとしています。
●リスク評価での課題
食品安全委員会は、今回のリスク評価での課題として、
PCBなど他の汚染物質などがメチル水銀と複合的に健康に与える影響について研究が進んでいない(情報がない)
ため評価できなかったことを指摘しています。
もうひとつ、メチル水銀が成人の冠動脈疾患や動脈硬化のリスク要因になるとの研究結果については、
否定的研究もあるとして今回はリスク評価の対象になりませんでした。
このふたつをリスク評価上の課題としています。
また、魚の含有水銀量についてのデータベースを十分なサンプル数で構築することがリスク管理(厚生労働省)
を行う上で必要だと指摘しています。
「栄養素を含めた食品中の他の成分の交絡作用にかかる知見は少なく、この点にかかる評価を行うことができませんでした。
PCB等の神経系への影響を与えうる食品中の汚染物質とその複合曝露に伴う影響に関して、
知見が集積した時点で再評価が検討されるものと考えます」(魚介類等に含まれるメチル水銀に関する食品健康影響評価についてのQ&Aより)
●リスクの高い魚介類
魚介類のうちでも、海の生態系で食物連鎖の上位にいる種類ほどメチル水銀の含有量は高くなる傾向があります。微生物などを食べる魚よりも、
他の魚を食べる魚介類の方がよりメチル水銀をたくさん取り込むということです。これを「生物濃縮」と言い、他の汚染物質でも起こります。
水銀含有量が高い魚介類について、厚生労働省の「妊婦への魚介類の摂食と水銀に関する注意事項の見直しについて(Q&A)」
問10で表が示されています。
http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/iyaku/syoku-anzen/qa/051102-1.html#10
それによると、マグロ類やハクジラ類が高い水銀濃度を示しています。特にバンドウイルカ、
コビレゴンドウなどハクジラ類は特に高い濃度となっています。(ヒゲクジラ類はプランクトンなどを食べるため、一般に低い値となります)
マグロ類などは対象になっていませんが暫定的規制値の総水銀0.4ppm、
メチル水銀0.3ppmを超えるものが市場に流通していることが分かります。
●まとめ
【注意事項を知っておく】
魚介類が日本人の食卓に欠かせず、また、栄養としても優れた食品であることは間違いありません。
一方で、魚介類にはメチル水銀が含有されていることや、一部の魚介類には高い濃度で含まれていることが分かっています。
まずは、厚生労働省の「注意事項」にあるように、妊婦がこの情報を知って対応することが大切です。学校では、
対象となる年齢層の女性が子どもの母親として身近にいることから、これらの情報を正しく伝えることが可能です。
食育のひとつとして関係者は知っておくべき情報のひとつです。
【そのほかのリスクの可能性】
食品安全委員会が指摘しているように、今回のリスク評価では、PCBなど他の汚染物質との複合的な影響は分かっていないこと、
成人の健康影響の可能性については研究があるものの評価対象にしていないことを知っておく必要があります。
暫定的規制値の総水銀0.4ppm、メチル水銀0.3ppmが、現在の状況で適切なのか、また、
マグロ類などが対象外になったままでいいのか、暫定的規制値をこえた魚介類が適切に廃棄・回収など行われているかなどの疑問もあり、
暫定的規制値の見直しを求めていくことなども必要でしょう。
そして、現在分かっている水銀含有量の高い魚介類(イルカ、クジラ類を含む)などについては、学校給食に提供する際に水銀含有量を調べる、
出す量を検討するなどの慎重さが必要だと思われます。
【今の注意事項でいいのか?】
食品安全委員会も、今後の研究によってリスク評価のやり直しが必要だと指摘していますが、
あくまでも現在分かっていることだけからリスクを評価しています。しかし、諸外国では様子が異なります。
■日本以外の基準値
今回の見直しのきっかけとなったのは、2003年にFAO/WHO合同食品添加物専門家会議(JECFA)
が行った胎児に対する暫定耐容週間摂取量の見直しでした。
そこでの見直し数値は、「1.6μg/kg体重/週」となっています。日本は、今回の見直しで2.0μg/kg体重/週となりましたが、
JECFAよりも甘い数値になっています。これについて政府は、見直しの元となった研究成果の不確実性に対する計算方法の違いとしています。
ちなみに、1973年の厚生省基準0.17mg/人/週を、体重50kgで計算すると3.4μg/kg体重/週となり、
現在もこの数値が胎児以外の判断基準になっています。
英国(イギリス)やオーストラリア、ニュージーランドでは、2004年に、胎児に対しては、JECFAと同じ1.6μg/kg体重/週、
胎児以外(非発達毒性以外の保護)を、JECFAの以前の数値である3.3μg/kg体重/週としています。
■乳児、子ども、成人に与える影響について(日本以外)
乳児については、母乳からの曝露が考えられます。英国では、乳児がメチル水銀に対する感受性が高い可能性(影響をより受けやすい)
可能性を無視できないとしながらも、母親が3.3μg/kg体重/週以下であれば、
母乳からの乳児の曝露が1.6μg/kg体重/週以下になるので問題ないとしています。
オーストラリア・ニュージーランドでは、リスクは低いとしつつ「妊婦と同様が望ましい」としています。
アメリカ、アイルランド、EUも、乳児保護の観点から母乳授乳中の母親を対象者に含めています。
乳児以外の子どもについては、英国が「発達途上にある乳幼児はメチル水銀に対する危険性が他の集団より高いかどうかに関して未知数」
として、16歳未満を対象にしています。
具体的な対象範囲としては、
アメリカ…妊娠する可能性のある女性、妊婦、授乳中の母親、幼児
英国…妊婦、妊娠を考えている女性、16才以下の小児
カナダ…すべての人、および、幼児、妊娠可能年齢の女性(二重基準)
アイルランド…すべての人、および、妊娠可能年齢の女性(妊娠を考えている女性)、妊婦、授乳中の母親、幼児(二重基準)
オーストラリア…すべての人、および、妊婦、妊娠を考えている女性、6歳以下の小児(二重基準)
ニュージーランド…妊婦、妊娠を考えている女性
ノルウェー…妊婦、授乳中の母親
デンマーク…妊娠を考えている女性、妊婦、授乳中の女性、14歳未満の子供
(魚種や量などについては除く、薬事・食品衛生審議会食品衛生分科会乳肉水産食品部会平成16年8月17日開催配付資料より)
となっています。
平成17年8月12日開催配付資料より 各国における注意事項の比較(PDF)
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2005/08/dl/s0812-3b4a.pdf
食品安全委員会がリスク評価し、厚生労働省がリスク管理として「注意事項」を発表しましたが、このリスク評価と「注意事項」 がはたして十分なのか、「予防原則」に立って、より厳しいリスク管理(注意対象の拡大など)を考え、求めていく必要もあります。
■参考ホームページ
厚生労働省「魚介類等に含まれる水銀について」
http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/iyaku/syoku-anzen/suigin/index.html
農林水産省「魚食と健康について」
http://www.maff.go.jp/fisheat/fish-top.htm
健康に悪影響を与える可能性のある魚介類中に含まれる物質などについて
http://www.maff.go.jp/fisheat/fish-2nd2.htm
「食品安全に関するリスクプロファイルシート(化学物質)」メチル水銀
http://www.maff.go.jp/syohi_anzen/profiles/methylmercury.pdf
食品安全委員会「魚介類等に含まれるメチル水銀に関する食品健康影響評価についてのQ&A」
http://www.fsc.go.jp/hyouka/hy_methylmercury_qa.html
食品安全委員会「リスク評価 化学物質・汚染物質 (食品衛生法、ダイオキシン類対策特別措置法、水道法etc.)
「魚介類に含まれるメチル水銀について」
http://www.fsc.go.jp/hyouka/hy_kagakubusshitu.html
魚介類の水銀の暫定的規制値について1973年通知(財団法人 日本食品化学研究振興財団HP内)
http://www.ffcr.or.jp/Zaidan/mhwinfo.nsf/ab440e922b7f68e2492565a700176026/6790022aba6835fb49256dfd001ff6bd?OpenDocument
水俣市立水俣病資料館
http://www7.ocn.ne.jp/~mimuseum/
財団法人水俣病センター相思社
http://www.soshisha.org/index.htm
水俣病からメチル水銀中毒症へ(熊本大学)
http://www.lib.kumamoto-u.ac.jp/suishin/mercury/
[ 07/10/03 食の安全性 ]