学校給食ニュース
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各地の実践例

● 三重県の例
 1972年に調理員が皮膚障害で公務災害認定を受けたいと自治労県本部に相談したことから、三重での取り組みがはじまりました。 皮膚障害について、73年に皮膚障害の実態調査が行なわれ、石けんへの切り替えの必要性を認識し、石けんの選択や作業手順の確立を模索します。 76年、自治労本部で石けん実施職場の状況調査と、切り替え後の皮膚障害調査を実施。
 この調査結果後、調理員の切り替えへの熱意が高まり、石けんの開発がはじまりました。まず、液状石けんリンピアが開発され、 77年より全国に紹介されます。また、粉石けんを使用している職場も多く、食品衛生法に基づく表示が必要であったため、 粉石けんリベルタスが開発されました。このリンピア、リベルタスの開発によって、 主に関西地域を中心に合成洗剤から石けんへの切り替えが進むようになりました。


● 東京都八王子市の例
 1972年、東京都が洗剤で野菜や果物を洗う必要がなく、洗剤を使用する時には手袋を着用するようにという通達を出します。この通達は、 調理員が自分の仕事を見直すきっかけになりました。
 74年、対症療法的にABS、LAS系から高級アルコール系へ切り替えます。同時に、組織的な石けんと合成洗剤の比較研究を開始し、 75年には、労働安全衛生法第19条にもとづいて、教育委員会・事業所安全衛生委員会を設置、下部組織として洗剤問題検討委員会ができます。 衛生管理者、安全衛生委員会委員(栄養士、調理員)、調理員の代表で構成され、実態調査などが行なわれました。その中で、 石けん使用切り替えを小規模校からはじめることとなり、洗浄状態の調査や地域の洗剤に対する意識調査などが行なわれます。77年、全校中、37% で石けんのみを使用していましたが、併用校も多かったため、78年に洗剤問題検討委員会を解消し、洗浄剤委員会を設置、 石けんにあった食器洗浄機の検討がはじまります。
 79年には、新設校と買い換え校に選定した洗浄機を導入。給湯システムの改良もはじまり、80年にはすべて石けんに切り替えが終了しました。


● 京都市の例
 1971年~72年に合成洗剤による調理員の被害実態を調査。高級アルコール系に切り替え、手袋使用などを実施したが効果がありませんでした。 76年には、石けん使用を3校で試行。この時は、湯温や油かす除去、労働時間の増加などで切り替えができませんでした。
 80年「京都の水問題を考える会」を中心に86団体が、「学校給食から合成洗剤を追放し、石けんの使用を求める」請願を市議会に提出。 82年1月に請願が採択。
 そこで、82年10月から半年、7校で石けんを試行。84年に42校、92年3月には全校で石けん切り替えました。 実に運動がはじまってから20年の取り組みでした。
 それから、良質で使いやすい石けん作りに取り組み、天然動植物油脂を使用し、無用な添加物を含まず、安全性が高く、肌にも穏やかで、 ヤシ油より洗浄力が優れているという視点で、メーカーに試作を依頼。洗浄力、手荒れ、粒子、使いやすさ、濃度などを改善し「スクール石けん」 を生み出します。93年には、さらに「スクール固形石けん」を開発。保育所からの問い合せや他地域への取り組みの広がりもはじまっています。


● 大阪市の例
「近畿の水がめ、びわ湖を守ろう」からはじまった大阪の合成洗剤追放は、「市民といのちとくらしを守る会」が結成され、 79年から本格的な運動が広がります。80年に大阪府が滋賀県に続いて合成洗剤追放の要綱を出しました。それに合わせた施設、設備、 人員の改善が求められ、81年に試行が5小学校ではじまります。84年から88年にかけて、172校が石けん導入。89年には全校切り替えへ (320校)。


● 秋田市の例
 秋田県では、南部の十文字町学校給食センターが石けん使用を行ない、作業上のノウハウを蓄積していました。 自校式の秋田でできないはずはないと、1990年に、1000食ほどを栄養士1人、4人の調理員でまかなっていた秋田市旭川小学校は、 市内で最初に石けんを使用します。
 使用して1年を経過したときの報告として「アワが立たず、これで大丈夫かと思ったが、慣れれば石けんの方が楽だ。 お湯の温度や分量を測って使うなど、増えた仕事もあるが、一種類の石けんで全部の仕事ができるし、ステンレスの食器も、みがく作業がなくなった」 という調理員の声が伝えられました。また、廃油のにおいがなくなったり、洗剤のコストも半分になるなど、効果が確認され、 このような報告が市内での集会などで広がり、91年には11校にまで広がりを見せます。その後、 洗剤のような消耗品が市費負担になりコスト削減の意味からも石けん使用がすすめられ、一時全校で石けんに代わりました。
 しかし、ステンレスは問題なくても、アルマイトと石けんの相性が悪く、漬け置きが洗いができなかったため、 一部合成洗剤との併用校がでてきます。
 また、近年、ステンレス食器からポリカーボネート食器への切り替えが行なわれるのに合わせて石けんから合成洗剤に戻る学校もありました。 しかし、石けんでも洗い方でポリカーボネート製食器の洗浄もできるという試験を行ない、再び石けんに戻った学校もあります。そういう流れから、 現在は、併用校も含め9割程度の学校で石けんを使用しています。


● 東京都の例~北区、世田谷区
 世田谷区では、1980年以降、区議会での請願採択により 「区の施設において、合成洗剤の使用をできるだけ自粛し、石けんを使用する」という方針となりました。当初、 区の施設である学校給食現場では適用されませんでしたが、90年には食缶や備品などの洗浄に石けんが使われるようになり、 94年に自校式の学校の食缶、食器などは石けん洗浄へと代わりました。 世田谷区では3種類ほどの石けんを調理場に合わせて選択できるようになっており、中には、針状粉石けんを使用している学校も多くあります。 当初は、ボイラーの湯量不足や温度不足などで苦労がありましたが、今では特に問題なく石けんが使われています。
 一方、東京都北区では、区としての方針はなく、栄養士や調理員の努力によって、3校が石けんを導入しているに過ぎません。同じ東京都でも、 地域、保護者、議会などの動きによって大きく対応が異なるようです。

● 札幌市の例
 調理員の手荒れが問題になり、1977年に調理員の健康調査の上、 3カ月間石けんを試行しました。しかし、表示問題や作業の不慣れから試行は中止され、 有リンから無リンのヤシ油原料合成洗剤に移行するにとどまりました。その後、調理員と保護者、地域とともに運動が広がり、 1983年には二槽式洗浄機を4校で試行、84年に皮膚障害調査などを経て、84年4月には25校で二槽式洗浄機が導入。同時に、 調理員の家庭でも石けんを使用する運動や購入方法を確立して石けん使用の実績を高めていきました。さらに、94年に洗浄作業の手引き書を、 全市の栄養士、調理員、パート等に配布、8月より、5校で石けんの実験、試行を1年間行ない、 その後も手引き書の再配布や手作り廃油石けんなどの活動などを続け、石けん使用校は年々増え90年には170校を数えるまでになりました。 そして、現在では石けんを全校で取り入れています。

(学校給食ニュース6号 1998年10月) 

 

 

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