まとめ~学校給食にはなにができるのか
●人権の問題です
事例の中にあったような、お弁当もだめ、特別な対応もしない、牛乳は飲まなければならないというのは、人権を無視した問題です。
栄養の面や集団教育という側面から行われる「残さず食べる」指導は、子どもひとりひとりの個性を無視してはいないでしょうか。
体調が悪ければ残してもよい、好き嫌いではなく、食べられないものがあるという、子どもの「違い」を前提に、子どもたち同士が「違い」を認め、
分かち合えるような教育がなければ、食教育としての学校給食の価値はありえません。
文部省や当局は、この配慮に対し、具体的な指示をしていません。しかし、そばアレルギーの裁判にあるように、学校は、
食教育として給食を行っており、それは命に関わる責任を持つものであることは明らかです。
その責任を自覚して、学校単位でできる最大限の配慮を行うこと、これが現在できることです。
●子どもへの配慮を
学校給食は医療ではありません。また、福祉でもありません。学校給食は「食」教育そのものです。ならば、アレルギー、アトピーをはじめ、
ひとりひとりの体質や病気なども含めた個性を前提としての食教育があってもいいはずです。
アレルギー、アトピーなどの対応を考える際にも、他の問題と同様、「最大限子どもたちに配慮できるか」という視点で考える必要があります。
すると、やはり、ここでも、自校式、直営、栄養士の配置、食材の直接購入が必要になることは言うまでもありません。そして、
十分な人員と設備食材にかける予算があれば、様々な工夫の余地が生まれます。事例の中でも、また、
他にもセンターなどでの対応をされているところは数多くあろうかと思います。しかし、より自由度があり、細やかな対応と、食教育が可能なのは、
自校直営方式です。
食教育の必要性と、学校給食の質の充実を求めていく運動が引き続き必要です。
●食教育の機会として捉える
たとえば、
大豆アレルギーの子どもも一緒に食べられる給食を全校で行ない、一緒に食べることを経験させ、その上で、
大豆を抜くことの理解をさせることができます。
牛乳のない日があってもいいはずです。低塩の日があってもいいでしょう。もっと広く、肉や魚のない日があって、
菜食というテーマでもよいかもしれません。
そのような、多様な食生活への理解も、自分たちの食文化を学ぶ上でも必要ではないでしょうか。
きちんとした学校給食を出しているところならば、子どもたちが好きな肉料理をカロリーを多めに出した上で、これを教材として、
毎日これを食べ続けると、問題があることを教えることもできます。
1回の食事でのバランスだけでなく、いろんなものをバランスよく食べていくこと、そのことで、
食を選ぶ力を養うことのような積極的な教育にまで発展できる可能性を秘めているのではないでしょうか。
このようなことが可能になるような働きかけが必要です。
●情報公開を
アレルギー、アトピーの子どもが、自治体単位でどのくらいいて、どのような問題を抱えているのかという調査はほとんどなされていません。身長、
体重の統計はあっても、子どもの身体的特性についての記録はなく、取組みは遅れていると言えます。
そのような中で、個別対応する際、大切なのは保護者と学校の教職員、栄養士、調理員、養護教員を含めた話し合いと、日頃のコミュニケーション、
そして、情報公開です。
今は、アレルギー、アトピーを持つ子など、対応を必要とする子どもは少数です。
しかし、環境の悪化や生活の変化によって、リスクを抱えた子どもが増えるという予測もあります。たしかに、保育園、
幼稚園などの幼児保育の場では、この10年、20年の間に、アレルギー、アトピー児が確実に増え、対応が必要不可欠となっています。
小学校、中学校でも、今のうちに、徹底した話し合いと、過去の事例の蓄積によって、常に最善の方法をとれるよう、取組みが必要です。
●最後に
アレルギー、アトピーの問題には、今のところ確実な治療の方法はありません。
また、症状や状況もひとりひとり違います。
食教育と医療のはざまにある、アレルギー、アトピーだけではない問題は、「この方法がよかったから」「これは大丈夫だったから」
「少しぐらいなら食べさせても」など、前例や経験、または、単純な善意からくる行為が時には取り返しのつかないことにつながることもあります。
学校給食とは何か、が、突き詰めて問われる場でもあります。
設備の充実や、地域での対応など、全体の運動としての部分と、個別の対応と両面に取り組んでいくことになります。
(学校給食ニュース4号 1998年7月)
[ 98/12/31 アレルギー ]