講演 子どもとつむぐ食の学びへ~今、総合学習がおもしろい~善元幸夫さん
学校給食全国集会 レポート 2
2003年2月24日開催
■講演 子どもとつむぐ食の学びへ
~今、総合学習がおもしろい~
善元幸夫さん
●プロフィール
1950年埼玉県生。1973年東京学芸大学卒業後、
中国や韓国から引き揚げてきた子どものための「日本語学級」(江戸川区立葛西小学校)に14年勤務する。このころから、
さまざまな総合学習の授業をつくりはじめた。また「日本語学級」にいたときから、「地域化をめざすアジアの国際理解教育」の必要性を感じ、
1995年「日韓合同授業研究会」をつくり、以後民間レベルでの交流を続けている。趣味は露天風呂めぐり(「露天風呂友の会」会員)、
2003年2月時、東京都荒川区立第四峡田小学校教諭。
著書に「今教師は何をすればいいのか」(小学館)、「おもしろくなければ学校じゃない」(アドバンテージサーバー)、
「カリキュラム改革としての総合学習5地域と結ぶ国際理解(編著)」(アドバンテージサーバー)、「それでも虫くい野菜を食べますか」
(草上文化)、「国境を越える子どもたち(共著)」(社会評論社)、「生命の出会い」(筑摩書房)、「黄花菜よ、いま再び」(筑摩書房)、
「ひとつの生命」(三五館)など。
●はじめに
まず、学校給食のありかた、そして学校給食のかかえているさまざまな問題を提起し、
闘われている学校給食全国集会実行委員会のみなさんに深く感謝します。
今日の私の話は、私が自分の小学校でやっている実践報告です。総合学習を通して授業革命とでもいうべき話、
とりわけ食に関することについてお話しします。一言でいえば、「教え込むのをやめよう」という教育です。子どもと一緒に、
子どもを中心にすえて考える学習です。
●激動期の教育の行方
今、教育は激動の時代を迎えています。これには二つの意味があります。
ひとつには、学校嫌いの子どもがものすごく増えています。昨年の暮れの統計で13万8千人の登校拒否です。
この状況は30年間に渡って増え続けています。前提として、「学校はいいものだ、行かなければいけない」という学校神話が崩れているのです。
もうひとつは、学校で大人と子どもの関係がずれています。「学級崩壊」という言葉があります。以前であれば、
「もしかしたら教員に向いていないのではないか」という先生の学級がうまくいかないということがありましたが、最近、
意外にベテランの先生の学級がうまくいかなくなることがあります。これは、「大人と子どもの関係の境目がなくなってきている」
「ボーダレスになっている」という事に帰因するのではないかと思います。伝統的な「教える人」「教えられる人」
という関係を求めていると成立しないのです。教師が自らの権威で「ちゃんと話を聞きなさい」と言っても子どもが聞かなくなっています。
「大人っぽい子ども」とともに、「子どもっぽい大人」も増えています。
子どもっぽい大人の話ですが、ある中学校の校長先生が保護者会の時に話をしていたら、そのうち親同士が話をはじめました。
その後には携帯電話で話をはじめました。校長先生が「静かにしろ」と怒ったそうです。たぶん、その校長先生の話はつまらなかったのだと思います。
しかし、つまらなくても聞く、聞いてこそ批判ができる、聞くということは大事だということが通じない大人ができているのです。
この親を批判できないのですね。私はすでに30年近く教師をやっています。私が教えた子どもがもう親になっています。
日本の1980年代の大変な時代に子どもだった人が親になりました。人の話を聞けなくなりました。非常に幼稚な大人ができてしまいました。
逆の、大人っぽい子ども、いわゆるませガキの話です。私は新宿区に住んでいますが、10時半から11時頃に高田馬場に行くと、
ファーストフードの店で子どもたちが「疲れた」と言ってドリンクを飲んでいます。「今日はよくやったよ」などと言いながら。
疲れた子どもが多いのです。私の子どもは中学生ですが、ある時子どもたちが授業中にエスケープ、逃げ出し、体育館などにたむろしていたそうです。
そのときに、生活指導の先生が見つけて「何をやっているんだ」と怒鳴ったそうです。かつてなら、子どもは黙って下を向いて、「すいません」
といえば、「これから気をつけろよ」で済んでいたでしょう。今は違うそうです。「うるせえ、てめえの世話にはなってない」
と子どもが怒鳴り返したそうです。教師は真っ青ですね。20年前から高校の生活指導の教員が殴られてきましたが、今や中学です。
子どもが統率できなくなった。ある意味では大人っぽくなったのです。
事は大人と子どもの境目がなくなってきているだけではありません。「公と私(プライベート)」との区別がつかなくなってきています。
子どもがやってはいけないこと、高校生の飲酒などはあたりまえですが、たとえば、電車の中で化粧する子どもがいます。電車で化粧をする子は、
周りの人が人間だとは見えていません。彼氏がいれば別でしょうが、周りはぜんぜん関係ないのです。だから、勝手に化粧ができます。
地下鉄では電車で着替えている子どもがいるそうです。
1年前に、神奈川に講演に行きました。水曜日の午後1時ぐらいのある駅での経験です。横浜より西の方のローカル線です。
ドアは手動でしか開きません。乗り換えで待っていたのですが、ベンチに高校生が二人いました。私服の子と制服の子です。タバコを吸っていました。
電車に乗り込んだら、その子どもたちが電車の中で少年ジャンプを読み始めました。ドアの両サイドにしゃがみこんで、です。
片方の子が読み終わりました。すると、もう片方の子がハイハイしながら取りに行くんです。ハイハイしながら戻って、
寝っ転がって読み始めたのです。
大切なのは、子どもをどう見るか、です。「とんでもないガキだ、しつけがなっていないから、教育基本法でも改正して、しつけを強化しよう」
という人もいるでしょう。「今の子どもは大変だよ。筋力が落ちちゃっているからハイハイするのも無理もない」という人もいるでしょう。
私はこう思いました。「この子どもたちは2時間前、学校でつまらない授業を受けていたんだろうな」と。おそらく、タバコを吸うのも、
電車でハイハイして、寝っ転がって本を読むのもやってはいけないことだと判っているのでしょう。でも、つまらない学校から出て、自分を解放して、
それでこんなことをしているのでしょう。
このような時代の中で、教育の問題をラジカルに考えていこうと思います。
私は「教え込むのをやめよおう」、つまり、子どもを教え込む対象として見ない、子どもを主体としてみなし、
一緒に作る授業のようなものに可能性がないかと考えているのです。
では、失敗談も多いですが、総合学習についてお話しをしていきたいと思います。
●感覚を引き出す授業
私はまず、感覚を引き出す授業の大切さから述べてみたいと思います。
そこで、利き水の授業をやりました。今、中学校1年生になっている子どもたちが小学校4年生のときのことです。
4年前の4月、毎日新聞の1面で「においをかいでどの川の水かあてることができるすごい人」が紹介されました。この人は、
外国から水の鑑定を受けたときに、その水はどういう岩盤を通り、どういう枯草を通るかを当てたといいます。20年ほど前の話だそうですが、冬に、
都民から水道の水がおかしいと電話がありました。すべての貯水池を調べると結果が1カ月かかるそうです。そこで、船に乗って利根川をずっと上り、
支流まで行って、ここがあやしいと当てたそうです。工場排水をつきとめたのです。
そういう人が現実にいるんです。東京都の水道局の職員です。前田学さんと言います。
私は、この人と一緒に授業がやってみたいと思いました。
前田さんのような人がいるから、ひとりひとりにとって水とは何だろう、ひとりひとりの感覚で水は何だろうと考えて欲しかったのです。
まず、取り組んだのが「におい」です。
私の学校の給食は自校方式で、栄養士も調理員もがんばって、プライドを持ってやっています。
3時間目の休み時間に給食調理場の近くに子どもを行かせます。それで、においをかいで「食材あて」をやりました。ニンニクとかショウガとか、
においのきついものはすぐに判るようになりました。そのうちなんと12~13も判るようになります。
前田さんに言わせると、子どもが小さければ小さいほど偏見がないから判るようになるそうです。
中には、「先生、今日はプリンがでる」という子どももいました。パックのプリンですからにおいはしないでしょう。恐らく、
献立を見たんだと思います。でも、私は「すごいね、プリンがわかるなんてたいしたものだ」と答えました。
次に、利き水です。荒川区と新宿区の水を比べました。ほとんど全員判りました。比べてみると荒川の水は味もかなりきつい。
「先生、なんでこんなにちがうの」という話になりますね。そこで、待ってましたと、「いいところに気がついたね」と、地図を出します。
荒川の水は利根川の水です。新宿の水は利根川と多摩川のブレンドです。利根川は長さが300kmを越え、多摩川は200kmちょっとです。
子どもたちはいろんなことを考えました。利根川の下流までにはいろんな生活があったり、水を何度も使ったりするのです。
多摩川はそれに比べ短いのです。貯水源の高さは2000mぐらいでほとんど同じでした。
こういう水の違いを知るためにはじめて知識が必要になります。
そこでゴールデンウィークの5月、東京の子どもたちの田舎の各地の水を持ってきてもらおうということにしました。前田さんに聞くと、
プラスチックの容器ではにおいがついてだめだということです。たまたま理科室にぜんぜん使われていない広口瓶がたくさんありましたので、
水を採取してきてもらいました。きちんと管理しておいて、いよいよ前田さんが明日登場ということになりました。
同僚と「コップが問題だよね、プラスチックのコップはにおいがでるからやめよう」という話になり、
給食で使っている牛乳瓶をきれいに洗ってもらって借りました。
そしていよいよ前田さんの登場です。ところが、前田さんの話はよく判らないんです。水の味というのは感覚ですよね。
これを言葉にするのは難しいのです。だから、ワラのにおいがとか…専門用語がやたらと出てきます。わけは分かりませんが、
何かおもしろそうだということは子どもたちには充分判りました。話が終わって、利き水をやろうということになりました。
2クラス50数名の牛乳瓶に少しずつ水を入れていきます。
においをかいだら、「うう!? これは牛乳のにおいがする」。これでこの実験は終わりです。牛乳瓶ににおいがついていたんですね。
その後、茶碗でやりなおしましたが、子どもはこう言いました。「においってすげえなあ」って。これが全体の子どもに反応として広がりました。
「においってすごいんだ」。これは一生忘れないと思います。
利き水のようなことをやって浄水場に勉強に行くと、子どもたちの反応はぜんぜん違うんです。一回自分のからだをくぐらせる。
「ぼくの感じた水はこうだ」と判って浄水場に行くと子どもの関心が深くなっていくのです。
ついに今年は、利き塩の授業をやりました。みなさん、塩の味の区別はできますか?
今日は調理員の方が多いそうですからかなりできますよね。
この授業、実におもしろかったです。学校に梅の木があります。昨年6月にたくさんの梅の実がつきました。
梅の木は折れやすくてあぶないのですが、校長先生に頼んで、みんなで木登りをして梅を取りました。
さて、ここで問題です。この梅、傷をつけないで梅を取り出すにはどうしたらいいでしょうか。子どもたちからは「塩に漬ける」「砂糖に漬ける」
という答えが出ました。砂糖に漬けたのは梅ジュースにして飲んじゃいました。塩に漬けたのは梅干しにしました。
東京都の消費者センターに問い合わせて塩の味覚の資料を送ってもらったのですが、塩にはいろんな種類があって奥が深いんです。
一般に塩って味の区別がつくようでなかなかつかないようです。だから、キャッチフレーズや成分表示で買っているとのこと。
ところが、子どもはかなり、この違いが判るんです。野菜スープに岩塩と工場塩を別々に入れて飲んでもらったら判るんです。
これがおもしろいです。
おもしろければいいんです。問題はその先に何をみるかです。
現代の浮遊感覚の今の子どもたちが、自分のからだの感覚を通して、痛いとか、冷たいとか、ぬるぬるとか、いい気持ちとか、
そういうことをたっぷりやることで、感覚を取り戻すことが大事だと思います。
東京のある区では区をあげて来年小学4年生から6年生まで英語の授業をやるそうです。私は、子どもには子どもの時代があると思います。
通過すべき時代です。「大人の準備教育」のみを優先させてやって何になるんだろうかと思います。子どもの感覚を大事にすべきです。
私が好きなルソーは「エミール」でこう言っています。「子どもが一番先に見つけるのは感覚だ、五感だ、と。そして、
大人はそれを教えることだけを忘れている」と。
●あなたは虫食い野菜を食べますか!?
荒川区では4年生の子どもたちが移動教室で清里に行きます。清里は、山があって、ともすると子どもたちは体をいっぱい動かして疲れておしまい、
なんです。清里の隣にJR最高駅の野辺山があって、ここにすごい人がいます。
青野農場の青野さんです。本物の野菜を作っています。お父さんが北海道の学校を出て、全国を探し回って、
清里の隣の野辺山の土地を選んで開墾したそうです。クリスチャンです。子どもたちのインタビューの時、
「私は自分の家族が食べるものと同じものを食べさせたい」と言いました。これは大変なことです。
牧場と農業を一緒にやっていますが、これはとても効率が悪いそうです。でも、あえて青野さんはそれをやっています。
有機農業をやりたいからです。正確にはそれだけではまかないきれないそうですが、牛のたい肥で有機肥料を作っているのです。
子どもたちが青野農場に行き、まず、びっくりします。トンビが飛んでいました。空にトンビが飛んでいるということは、
下の土の中にモグラがいるということです。モグラがいるということは、小さな虫がいるということです。土が生きているんですね。
おみやげに青野農場のレタスを箱で買ってきて食べました。レタスは本当においしかった。
こんなにおいしいレタスを食べたことがありませんでした。
そこに奇跡が起きるのです。私のクラスにどうしてもレタスを食べない子どもがいました。その子どもが、このレタスはおいしいと言うんです。
お母さんがびっくりしました。そこで、子ども達は「何でこんなにうまいんだ」、という話になります。そのときに、子どもたちから自発的に
「調べてみたい」という気持ちが出てくるのです。授業は作るのではなく、作られていくのです。
子ども達はいろんな調べをやっていきます。ある子ども達は有機農業について調べてみたいとか、ある子ども達は農薬は恐ろしいのだろうかとか、
日本で有機農業する人は何人いるかとか。
いろいろ調べておもしろかったのは、有機野菜は高いか安いかということでした。栄養士さんが決定的な役割をしてくれました。
私の学校では栄養士が補助的な役割で来てくれるのではなく、最初から一緒に参加してくれました。
このグループがまず最初に町に出て有機野菜の値段を調べてきました。圧倒的に有機野菜の方が高いんです。子ども達は、
こんなにおいしい野菜が食べたいけど高いよね、という話になりました。そして、栄養士さんのところに行きます。
これは打ち合わせしていたのですが、「そうだね、有機野菜は高いよね。でも、見てごらん、」と、
有機野菜の値段の入った契約書を見せてくれました。すると、結構安いんです。それで、うちのクラスの授業は全部ひっくり返ってしまいました。
「有機野菜はいいものだけれども高い」という話から、「有機野菜にも安いのがある」ということになります。これは栄養士の努力ですね。
有機栽培も契約することによって安いこともあるということがここで判りました。ここで授業が大転換します。調べたことをもとにして、
自分たちの給食に毎日有機野菜を食べることができないだろうかと。
また、この結論に至るまでに、子どもたちはもうひとつの大きな試練に出会います。
全国の知り合いを通して有機農法の生産者にいろいろアンケートを取りました。その質問は、「有機野菜は高いんですか」なんていうものでしたが、
山形の生産者が、その答えの最後に、さらっと「みなさんは有機野菜に虫がついても買いますか?
ごく当たり前の虫食いのあとがありますが洗えば何の問題もありません。安心して食べてください」と書いてありました。
これに子ども達は悩みました。虫=ゴキブリのイメージがあったのですね。「えー、虫がついているんか!!」
有機農業で有機野菜はいいけど、虫食い野菜でもいいの、という話になりました。悩んだ末に、全校にアンケートを取ろうということになります。
1年生から6年生まで、職員も含めてアンケートを取りました。するとおもしろいことになります。ちっちゃい子どもは虫が好きなんです。
だんだん大人になると虫が嫌いになってくるんです。これはもしかしたら偏見なのかもしれません。大人達のアンケートでおもしろいのが、
虫食いでも有機野菜は食べるとありました。子ども達が気がついたのは、「偏見」という言葉は使わないものの、そういうものかな、
つくられた感覚なのかということに気がつきました。
子ども達は、調べていって、おもしろくなってきたのです。そこで行動として、何かやってみたいというところに行きつきました。
うちの学校では週に2回だけ有機野菜を食べていたのですが、毎日有機野菜を食べたいんだということになりました。では、
そのためには何が必要かとなると大型冷蔵庫が必要ということでした。それは買えるか、というと、区に頼まなければならない。
それで区長さんにお手紙を出すことになりました。
「区長さんこんにちは。お忙しいところすいません。僕たちは第四峡田小学校の4年2組です。僕たちは有機野菜が高いか安いか調べていて、
スーパーに行き調べました。そしたら普通の野菜より有機野菜の方が高いということが判りました。でも、
大地のグループというところで契約をすると普通の野菜より有機野菜の方が安くなるときもあることが判りました。
それに有機野菜の方が健康にいいということも判りました。僕たちの学校の栄養士の清水さんに聞いて判りました。
僕たちの学校であまり有機野菜を使っていません。それは野菜をとっておく大きな冷蔵庫がないからです。なぜないかというと予算がないからです。
僕たちも健康な野菜を食べたいのでぜひ大きな冷蔵庫を買ってください」と、あるグループは書きました。別のグループは「区長さん、
あなたは有機野菜を食べたことがありますか? 食べたことがなかったらぜひ食べてください」などと書きました。
結果は大型冷蔵庫を買ってもらえませんでした。
●子どもたちが語るレタスの授業
子ども達がこれをどのようにとらえたのでしょう。この年の最後にニュースステーションという番組を作りました。
子ども達が第5位に選んだのがこの話です。ではこれからそのビデオをみてみましょう。
司会1:ニュースステーション第5位は、区長さんに手紙を出したことです。
4年2組では有機農法の野菜を給食で食べたくて食べたくて区長さんに手紙を出したそうです。担当の人お願いします。
茶間君:僕たちは7月に移動教室でこの地図にのっている清里というところに行きました。そこでびっくりしたことがあります。
それは有機農業をやっている青野さんという人に会い、おみやげに有機レタスをもらい、僕たちはその有機レタスの味にほれてしまいました。
そこで僕は青野さんに「なぜ有機野菜を作っているんですか」と聞いてみたら、青野さんはこんなことを言ってくれました。
「僕は家族のためにからだにいい野菜を作ってあげたいという気持ちでみんなにも作ってあげてるんだよ」と言われて、僕たちはびっくりし、
感動しました。そこで、建君に質問です。建君は有機レタスの話をどう思いましたか?
建君:
このレタスの味ににほれた理由は苦みと甘みがあると僕の舌にあっているような気がして普通のスーパーのレタスよりも2倍近くおいしいと感じられました。
建君:そして僕たちは2学期ごろから清水さんというこの学校の栄養士さんと勉強をしはじめました。
どんなことを勉強したかというと有機野菜のことや有機農業のことを教えてもらいました。この資料が調べたことの一部です。たとえば、
いっさい農薬を使わない農業の名前や有機野菜を知っているか知らないかというクラスも調べました。そこで、茶間君にも質問です。
茶間君は清水さんの勉強についてどう思いましたか?
茶間君:むずかしかったけれど勉強になりました。
建君:でも、ひとつ清水さんは不満に思っていることがあるんです。それはこの学校に大きい冷蔵庫がないので、
給食で木曜日しか有機野菜が食べられないことです。だから僕たちは大きい冷蔵庫を買ってくださいと区長さんに手紙を出しました。
ここでちょっとだけ区長さんの手紙を読んでみます。
「4年2組のみなさんこんにちは。
学校でみなさんが一緒に食べる給食や毎日食べる野菜についてひとりひとり一生懸命考えてくれたご意見やご質問にお答えします。(省略です)
今のところ大きな冷蔵庫を買う予定はありません。4年2組のみなさん、将来、日本人として自分を大事に、友達を大事に、地球を大事に、
国を大事にする大人になってください」
この手紙にも書いてあったように区長さんは大きい冷蔵庫を買ってくれませんでした。しかし、僕たちはあきらめずに、
6年生になるころには大きい冷蔵庫を買ってもらい有機野菜をばくばく食いたいと思います。
司会2:ふたりにインタビューをしてみたいと思います。よろしいですか。
司会1:区長さんからの手紙を読んでどう思いましたか?
茶間君:忙しい区長さんなのに手紙をくれただけでもうれしかったです。
建君:僕たちはいつか冷蔵庫を買ってもらうために、また手紙を出したいと思います。
司会1、2:ありがとうございました。
実はこれは後日談があります。区長さんからのお手紙を読んだあと子どもたちはあっさりと「区長さんは何も判ってないね」って言いました。
私がここで言いたいのは、私達はこのことを運動として何かやるのではなく、子ども達はそういう目を持つということを言いたいのです。だから、
「僕たちはまたチャレンジをしていくんだ」となります。
自分達は本物の体験をして、いろんな学習をしたら、冷蔵庫が欲しいと行動をしたくなりました。だめだと言われても、
子ども達はこれで終わっていないんです。その後、野辺山の青野さんの一番近い小学校を探してそこにお手紙を書きました。ビデオレターです。
「自分達は有機野菜についてこんな事を知ったから、ぜひみなさんも…」と。すると、返事が来ます。「野辺山には、
有機農業やってるところもあるけど、農薬使っているところもあるんだ」といってくるのです。
生産者の近くの子どもと消費者の東京の子どもがつながっていきます。これがおもしろいところです。
限りなく子ども達が食について関心を持ち始めてきます。だから、大型冷蔵庫というのが今実現しなかったけど、
子ども達にはこの学習がずっと残っていくと思います。
●同じ米は二度作れない
食の授業の話で、これから失敗の話をします。今年大学を卒業した子ども達にとんでもない授業をやったことがあります。
あの子たちが5年生の時です。5年生の社会科では、日本の産業構造を教えます。
その当時、私は、第一次産業をやるときに、どこの県に何がある、すばらしい、だけではなく、日本の第一次産業は先が見えない、
それが日本の現実だと教えることもいいことだと思いました。子ども達と一緒に日本の農業を調べていきました。井上ひさしさんが、
NHKで日本の農業のルポをやっていました。日本の農業の大変さがわかるいい番組でした。
そのビデオを使いながら子ども達と一緒に勉強をしていきました。
最後にはどんな子どもになったと思います。暗くなりました。農業のことなんかお先真っ暗で、勉強したくない、となりました。
そのときに、そうだよね、日本の農業はお先真っ暗で暗いよねと、と思うと同時に、ものすごく後味が悪かったのです。
12歳の子どもが農業に関わりたくないという、これでいいのかと本気で考えました。
その2年後にまた5年生の担任になりました。この子たちとは一緒に農業体験学習をやろうとしました。
私の友人で米の本場の宮城県登米郡の阿部さんの指導をうけ米作りをやろうということになりました。「子ども達に田植えやろう、米作ろう」
と言ったら、子ども達から「先生、それだせえ」って言うんです。昔の自分なら、ださくたっていいものはいいんだ、やるんだと言うんですが、
それも言えません。「じゃあ、何やりたいの」と聞いたら、米のおいしい炊き方とか、農薬のこととか、生活についての米だったんです。
私は第一次産業としての米という意識しかなかったんですが、あの子達は、生活から米のことを考えているんですね。そこで、
出てきたテーマを全部やりました。最後にひとつだけ残ったのは、米はもともと熱帯作物なのに、
日本ではなぜ名産地が寒い地方なのかということです。
ひとつのグループの学習がクラス全体の問題となって、FAXや、お手紙を出したり、電話したり、親戚に聞いたりしました。すると意外なことに、
米の味は、「光合成と呼吸」と関係があるということが判りました。昼間太陽の光で光合成をします。夜、呼吸するとどんどんエネルギーが減ります。
実がどんどんやせるというんですね。おいしい米というのは、昼間がんがん光合成の光ででんぷんを作って、
夜は無呼吸に近い方がいいというんですよ。だから、寒い地方や盆地がおいしい米ができるんです。もちろん、その他の要素として水も関係あります。
そういうことが判ったら、子ども達はものすごく張り切ります。
そして、いよいよ米作りがはじまります。
私はいかにも先生っぽいことをやります。雨水と水道水の違いとか、日陰と日向の違いとか、縄文米とササニシキの違いやろうとか。
これってあまりおもしろい結果にはならなかったのです。
それ以上におもしろかったのは、土から植物が出て、実がなるということでした。単純ですが、米を育てるということがおもしろいことなのです。
宮城の阿部さんは、「善元先生、同じ米は2回できない」と言うんです。私は素直にこの言葉に感動しました。
同じ田んぼでも、取水口と最後は違うし、気候や土地が違うと全然違うというのです。
バケツ田んぼと自然の田んぼは全然違うんですね。米は八十八のプロセスがあるといいますが、はるかに複雑です。
冷害が近くなると体で感じで水の高さをどう調整するか、とか、稲をさわりながら、もうじき穂が出るから肥料を入れようとか、真剣勝負です。
実はそれがおもしろいのです。
田植えから、米がだんだん大きくなります。
米の花がありますね。阿部さんの「米通信」によると早朝とか雷の後に咲くらしいです。白くてつうんとするにおいがあるらしいです。
阿部さんからの「米通信」が来ていました。夏休み、クラスの千野君がたまたま米の花が咲くときに立ち会ったんです。
彼はうれしくてしかたがないんです。2学期になったらみんなにポラロイドのほとんどピンぼけの写真を見せ回っていました。
1万年前から米は誰かが作っています。でも、彼にとって米の花を見たということに意味があるんですね。総合学習のおもしろさがここにあります。
みんないっせいに何かをやるんではなく、ひとりひとりに自分の学びがあります。僕が見たんだということをみんなに伝えることが楽しかったのです。
この年はタイ米が大量に捨てられた年です。コメ不足で緊急輸入して抱き合わせで米を買わされた年です。それで最後はタイ米の勉強もしました。
収穫近くになって、阿部さんからまた「米通信」が来ました。「今私達は新食糧法で悩んでいます」って来ました。
新食糧法はコンビニで米が買えるんだからいいじゃないか、となるんですが、米についていっぱい調べてみます。減反のこと、
自給と外国の米が入ることを知ります。子ども達は大討論会をやると、みんな自給派なんです。米は自分達で作ろうという話になります。
それで最後に子ども達が書いた文章があります。これを読んで、この2年前の子どもたちに、いかに私が間違った授業をやったか判りました。
私は東京学芸大学の社会科で、日本の産業構造としての米のことを考えていました。ところが、彼らは全然違うふうに考えました。
「米を作ることはいのちだ」と。私はこれをみてびっくりしました。5年生の女の子がこんなふうに書きました。
「田んぼを守るということは、水を守るということ、水を守るということは、いのちを守るということ、いのちを守るということは、
農家を守るということ、これの意味は、田んぼを守るということはすべてを守るということなんだと思います。
田んぼは食料のためにだけあるのではない。田は水を100年かけてきれいな水にしてくれる。その水は草や木を育てる。
その木や草は空気をきれいにしてくれる。それすなわちすべてのいのちを守るということ」
私はこれをみたとき、涙が出てきました。私はこの文章を理解できるけど、書けないです。私は社会科の授業で、
農業問題しか教えてきませんでした。ところが、子ども達は米作るとは命を守ることだ、つまり環境の問題だと考え始めたんです。
総合学習とはそういうおもしろさです。教師の教え込みより子ども達が学ぶことははるかにダイナミックです。
この文章をよくよく読んでみたら、改正された農業基本法の前文と似ています。日本人は私が小さいときは、米を年間140kgも食べていました。
しかし、今、東京などでは80kgを切っています。需要が減れば、米価は下がるのです。しかし、
米問題は需要と供給で決めていいんですかとあります。法律自体にはいろいろ問題はあるでしょうが、子ども達はこの前文と同じことを言っています。
子どもたちは子どもたちなりの学びから真理に近づいていくのです。
私達は、こういう学びをひとつひとつつむいでいきながら、子ども達といのちの問題や食の問題をやろうとしているのかなという気がします。
●コンビニから日本の社会がみえる
生産者と東京の人が結びつく授業を創るのは結構難しいことです。そこで、私はこんな授業をやってみました。コンビニの授業です。
今、やたらとコンビニが増えています。なんで増えたのでしょう。
そこで、子どもたちと市場調査をしました。すると利用する人が限られているんですね。コンビニというのは一言でいえば「あいててよかった」
なんです。つまり時間を金で買うとでもいうのでしょうか。
利用者で多いのは若い人、子どもたちや高校生などです。主婦はあまり使っていません。
コンビニでおもしろかったのは、「時間ごみ」という概念です。お弁当などは時間が来ると捨ててしまいます。スーパーなどは安くしますね。
なんで捨ててしまうんでしょう。
子どもたちがいろんなコンビニに調査に行きました。
あるコンビニは、あまった弁当をホームレスの人たちにあげてたけれど、
そうなると時間前にやってきてホームレスの人たちがずっと待っているようになったのでそれをやめたと言いました。別のコンビニは、
従業員にあげていたとことが、従業員が欲しい弁当を一番下に隠しておくようになったと言うんです。それでやめたと言います。
ampmっていうコンビニは、アメリカの中でもコンビニとしては後から出てきたところですが、ここには弁当がないんですね。
ここには絵はがきみたいなものがあって、これ、と頼むと冷凍食品を出してきます。つまり店の電圧を変えていて、高速で解凍加熱するそうです。
だから、注文を受けてから弁当を出すので、ごみが出ません。聞いてみると「結構うまいんです」って。
総合学習のおもしろさは、やっていくにつれどんどん内容が進化していくことです。この問題についてampmは解決していったのです。そこで、
そこで、私たちは、子どもたちとそれぞれのコンビニの本社に手紙を出しました。東京はごみ処分で困っているのに、なぜあなたたちは、
食べられるものをすててしまうのかと…。
なぜ弁当を捨てるのか、コンビニから資本主義が見えるのかなあと思います。値段を書き換えるより捨てる方が人件費が安いそうです。
残飯が世界でも有数の国・日本です。東京都の残飯だけでも途上国50カ国の1日の食料をまかなえるというのですが、
残飯になる前の食べられるものを捨てる国は一体なにか、ということです。そういうことを、子どもたちが調べ、生身の、
浮遊感覚ではないところからものごとを調べていくおもしろさがあるのかな、と思います。
結論的な話をします。20世紀型の教育は、どれだけ知識を持っていて、技術として漢字や計算ができてということでしたが、
これからの21世紀型の教育は、それをどう使うか、ということだと思います。
私が尊敬する民俗学者の柳田国男さんは、教育分野でもすごい仕事をした人です。戦後間もなくこのようなことを言っています。
はじめて目をみひらいた子どもに、たいくつさせる話をしていい理由はありません。
試験にひっかからなければ記憶もしないような知識を詰め込んで何になりましょう。大事なことは目の前の現実だと言っています。
目の前にある大事なことを教えず、どこかから持ってきたものを詰め込んで教える、それは非常に冷淡だと言います。
今まで学校は子どもに冷淡だったという意味をもう一度かみしめる事が重要だったと思います。
それが、30年間登校拒否が増え続けた原因なんです。たぶん、給食のことも同じです。たっぷり時間をかけることです。スローフードなんです。
教育には無駄が必要なんです。
午後のシンポジウムで、効率性と民間委託の話が出てきて、民間委託でなくてもやれるという話があるかと思います。それも大事ですが、
教育は効率だけで考えてはいけないと思います。無駄が大切なんです。
ルソーが言っています。教育とは時を稼ぐことではない、時を失うことだ、と言っています。
稼いで省略して効率よくやってはいけないと言っています。無駄が必要です。
昨年、文部科学省のシンポジウムでパネリストをやりました。食というのはどう考えても楽しいことです。ここが原点です。誰でも味が判るんです。
だから、いいものを出さなければいけないんです。
ところが、食教育はともすろと「指導」になっています。朝ご飯を食べないとどうなりますか? 栄養バランスが崩れるとどうなりますか?
まさに、今の子どもが抱えている問題です。それはもちろん大事ですが、やればやるほど何か親にとっても、子どもにとっても怖くなる、
強迫観念にならないでしょうか。共稼ぎで働いている家はどうするんだ、というような食の指導ではいけないと思います。
調理員が手作りのものをつくる、それがいいことなんだ、そういうところが一番重要だと思います。
効率のようなことはその次に考えなければいけないと思います。
その意味で、私もこの運動を皆さんと一緒にやっていきたいと思います。
子どもの学びはエンドレスです。子どもを教えの対象ではなく、子どもが自ら学んでいくんだという、授業を作れていったらいいなと思います。
ご静聴ありがとうございました。
学校給食ニュース2003年3月号)
[ 03/02/24 食教育 ]