TPPと私たちのくらし・食生活(鈴木宣弘)
東京大学 鈴木宣弘
本稿は、2012年7月30日(月)31日(火)の2日間、東京都新宿区箪笥町の牛込箪笥区民ホールにて開催された、「2012夏期学校給食学習会」(主催:2012夏期学校給食学習会実行委員会)で2日目に講演された鈴木宣弘教授の資料集原稿の再録です。鈴木教授のご厚意でホームページ上に掲載することとなりました。
TPPをめぐっては、学校給食ニュースでも2011年7月号で「TPPが食の安全と学校給食に与える影響の可能性」との記事を掲載し、解説していますが、食の安全、学校給食のあり方を含め、きわめて大きな影響を受けることが分かってきました。
今、TPPの問題に取り組むことがとても大切です。長文ですがぜひ、ひとりでも多くの方に、読んでいただきたいと思います。
1. TPPの本質
「1%」の利益のために「99%」を犠牲にしても構わない
経済学には、規制緩和を徹底し、1%の人々の富が増加し、99%の人々が損失を被り、食料も医療も十分に受けられないような生活に陥っても、総計としての富が増加していれば、それが効率だという乱暴な論理があります。それを、米国主導で徹底しようとするのが、TPP(環太平洋連携協定)の本質と言っても過言ではありません。
TPPはいままで日本がアジア諸国中心に締結してきたFTA(自由貿易協定)の一つの種類ではあっても、全くレベルが違います。いままでは、お互いに関税撤廃の困難な分野をある程度認め合い、国内企業と外国企業が全く同じ条件で活動できるところまでは国内制度の撤廃はできないね、というように、柔軟性を持って互恵的にやってきました。
関税撤廃に例外なし
しかし、TPPには関税撤廃に例外はありません。米や乳製品のように日本がこれまで高関税を残してきた、ごくわずかの農産物も全てゼロ関税になります。例外ができるようなことを匂わせているのはウソです。ゼロ関税にするまでに7年間程度の猶予期間は認める、というのが交渉参加国でほぼ合意されています(米国はオーストラリアとNZに対してのみ砂糖と乳製品を例外にしようとゴリ押ししていますが)。7年間の猶予が「例外」であり、その間に農業もコストダウンすればよいと言う人には、日本の1俵(60kg)14,000円の米生産費が7年で米国の2,000円程度になりますか、1kg 65~70円の生乳生産費が7年でNZの15~20円程度になりますか、と問いたい。猶予期間が何年あってもゼロ関税なのだから例外ではありません。それから革とか履物の関税もゼロ関税になります。歴史的にも、日本が革とか履物の関税をゼロにできますか。このことを考えても大変な問題です。
国民生活を守る制度・仕組みは参入障壁
しかも関税だけではなくて、日本の社会のシステム、制度そのものが崩されて行きます。国民生活を守る制度・仕組みを、国境を越えた自由な企業活動の「非関税障壁」として撤廃・緩和を目指します。そもそも政策・制度というのは、相互に助け合い、支え合う社会を形成するためあるわけですが、「1%」の人々の富の拡大には、それはじゃまなものです。そこで、米国の言う「競争条件の平準化」(leveling the playing fields)の名の下に、相互扶助制度や組織(国民健康保険、様々な安全基準、共済、生協、農協、労組、等々)を攻撃するわけです。そして、食料、医療のみならず、水道・電気・ガスなどの公益事業にも外国企業が算入し、国民生活の根幹を握られてしまうことになりかねません。それを許した英国国民はいま嘆いています。
国家主権の侵害
しかもこれに「毒素条項」と呼ばれる「ISD(Investor - State Dispute)条項」が加わりますと、TPPを始めた時点では米国が問題にしなかったかのように見えたので大丈夫だと思ったら、例えば米国の保険会社が、日本の国民健康保険が参入障壁だと言って提訴すれば、損害賠償と制度の撤廃に追い込むというようなことができます。地方自治体の独自の地元産業振興策、例えば、「学校給食に地元の旬の食材を使いましょう」という奨励策も競争を歪めるものとして攻撃されかねません。ISD条項が発動されなくとも、その可能性への恐怖が威嚇効果となって、各国、各自治体が制度を自ら抑制するようになることも米国の大きな狙いだと言われています(NZのケルシー教授)。
米国はいままでもNAFTA(北米自由貿易協定)でメキシコやカナダにISD条項を使って、人々の命を守る安全基準や環境基準、社会の人々の公平さを守るセーフティネット、そういうものまでも自由な企業活動を邪魔するものだとして、メキシコやカナダ政府を国際裁判所に提訴して、本当に損害賠償や制度の撤廃に追い込んできました。こんなことができるわけです。
日本政府は言います。米国は国民健康保険については問題にしないと言っているのだから大丈夫だ。間違いです。いま言ったようなISD条項もあるし、例えば、日本の薬価を決める過程に米国企業を参加させるよう求めていますから、これで日本の薬価は25%程度は上昇しますし、製薬会社の特許が強化されて安価な薬の普及ができなくなります。こうして、国民健康保険の財源が圧迫され、崩されていく、こういう流れもあります。
所得の低い人にも医療が、薬が行き渡るようにしているシステムを各国が持っているわけですが、これを米国の製薬会社は崩そうとしています。日本の医療制度を米国が攻めてこないなんてことは全くありえません。いままでも長い間、米国は日本の医療制度を崩そうとしてきたのですから、TPPでさらに強く言ってきます。世界に冠たる国民健康保険と言いますが、負担ゼロの欧州、カナダ、キューバなどとは違い、日本では患者負担割合が高まってきています。地域医療の後退は深刻で、私の郷里もそうですが、産婦人科がなくなり、小児科がなくなり、お産ができない地域が拡大しています。こうした流れを徹底しようとするのがTPPでしょう。
最近、東京の永田町で各党の先生方に集まっていただいて私がいろんなお話を聞く討論会がありました。そのときに民主党の経済連携プロジェクトチームの責任ある議員が「日本の医療制度が影響を受けないなんてありえない、ウソをついちゃいけない」とはっきり言っていました。
それから、ISD 条項については、オーストラリアでさえ、米国に対してTPPの議論の中で、こういう国家の主権を侵害するような条項は認められないと主張しています。でも、日本政府はまた言います、日本もISD条項をアジアとのFTAで入れているじゃないか、だから何が問題なんだと。ですが、ISD条項そのものが確かに問題ですが、それ以上に米国がそれを濫用するということ、そして国際裁判所に提訴するわけですが、国際裁判所が米国の息がかかっていて、米国に有利な判決ばかり出るわけです。だから大変なことになるわけですけれども、その点を無視して日本も入れているのだから大丈夫だと言っているのが全くおかしいのです。もちろん、ISD条項そのものが、国が決めている制度を米国の企業が変えてしまえるわけですから、まさに主権の侵害です。韓国の方がこの前日本に来たときに言っていましたが、韓国の主権は韓国国民にもうありません、米国の企業が主権を持っているのです。そういうことになるような条項です。
野田総理が昨年11月にハワイのAPECに行く1日前の国会で、毒素条項について聞かれて、本人は、そんな条項があるというのを知りませんから答えられませんと言ったのです。これさえも本人は知らなかったというのはどういうことか。黒幕が誰かということです。操っている人たちがいて、その人たちが総理にも情報を制限して操ろうとしています。総理だけでなく、国民もそういうイメージ戦略にはまっているのです。
TPPはレベルが高い?
例外なしのTPPのようなのが一番レベルの高いFTAだというのもウソです。FTAというのは「悪い仲間」づくりです。あいつは友達だからゼロ関税にしてやるが、あいつは仲間はずれにして関税をかける、というのを露骨にやるのがFTAで、それを一番徹底するのがTPPです。すると仲間はずれになった人は非常に迷惑します。世界の貿易が歪められて世界的にはマイナスがたくさん生じるのです(貿易転換効果)。貿易ルールの錯綜による弊害も生じます(スパゲティボール)。なんと8年位前までは、いま、TPPしかないと言っている経済学者のほとんどはFTAは良くないものだと、その中でも日米FTAは一番よくないと言っていたんですよ。それが8年くらい経ったいまはTPPしかない、の大合唱です。経済学の真理とは何なのでしょう。もちろん、持論を変えずに主張している立派な経済学者もごくわずかにおります(私とか)。
2. 誰のためのTPPか?
「農業対国益」ではない
1.5%の一次産業のGDPを守るために98.5%を犠牲にするのかと言った先生がおります。1.5というのは失礼でしょう。一次産業というのは、直接には生産額は小さいかもしれないけれど、大きな役割を果たしています。食料が身近に確保できることは何ものにも勝る保険ですよね。それから地域の産業のベースになって、加工業、輸送業、観光業、商店街、そして地域コミュニティを作り上げている、そういう効果の認識をもっとみんなに持っていただきたいと思います。
だいたい、98.5%が儲かるのですか。TPPで輸出が伸びるというけれど、伸びたとしても輸出のGDPシェアは11~12%です。韓国はGDPの貿易依存度が9割に達してきているので全然違います。しかも輸出産業の皆さんが言うのは、どんどん外国から技術者などの雇用が入ってくると助かると。では日本の雇用はどうなるかについてはきちんと答えが返ってきません。
最も雇用を失うのがTPP
そもそもTPP のメリットって具体的に聞いたことがありますか。最近、TPPのメリットはベトナムをいじめることだという議論、いわば「ベトナムいじめ論」が出てきました。これは、直接投資とか金融サービスの自由化を徹底すれば日本は米国から攻められて日本国民は雇用を失うかもしれませんが経営陣は大丈夫だと。もっと弱いベトナムを攻めていってそこで儲ければいいと。だから強いものからいじめられたものが弱いものをもっといじめて儲ければいいと言っているわけですね。しかも国民は大変になっても、自分達は外国の国民をいじめてその分儲ければいいと言っています。だから、TPPというのは「産業の空洞化」を最も徹底して進めるものなんです。いずれにしても日本の雇用は失われます。日本に工場が残っても、技術者をはじめ、たくさんの人が日本に入ってきます。さもなければ直接投資の自由化でベトナムなどに出て行くことで何とか儲けようとしているわけだから、どっちに転んでも日本人の雇用がどんどんなくなっていくのを徹底するのがTPPです。
1%の利益と結びつく政治家、官僚、マスコミ、研究者の暴走
だから大企業がそれで儲かったとしても、関連の中小企業の仕事がなくなります。ほとんどの方にとっては職を失うかもしれない、所得が減っていくかもしれないという問題を抱えているのに、それがメリットだと言っているんです。「製造業だからTPP賛成」というのはおかしいのです。しかも米国の国民も最近世論調査したら69%の国民がTPPどころか、もうFTAをやめてくれと言っているんですね。なぜか。雇用が失われたと。米国の国民も実は困っちゃったと。じゃ、誰が儲かるんですか。
まさにごく一部の国際展開している巨大産業、多国籍企業が、これだけ格差社会になってデモが米国でも起きてやりにくくなりましたが、それでも自分たちは無法ルール地帯を世界に広げることによって何とか無理やり儲けていきゃいいんだと言っています。このごく一部の企業の皆さんがいて、その選挙資金がないと大統領になれない政治家がいて、そして「天下り」や「回転ドア」(食品医薬品局の長官と製薬会社の社長が言ったり来たり)で一体化している一部の官僚がいて、スポンサー料でつながる一部のマスコミがいて、(研究費でつながる一部の学者もいて)、ごくわずかの1%くらいの人々の利益を守るために、国民の99%を欺き、犠牲にしても顧みない、これを徹底しているのがTPPなのかと疑われます。
規制緩和の徹底がもたらす社会の崩壊をさらに進めてよいのか
日本でも同じです。日本でもそういう米国の方々と思惑が一緒の方々がいて、いままでだって、例えば、大店法を撤廃して巨大スーパー・チェーンは巨額の利益を得たかもしれない。それこそが競争だと。しかし、全国どこへ行っても駅前商店街はシャッター通りばかりではないですか。これが本当に均衡ある社会の発展でしょうか。派遣労働が緩められて企業の方々は儲かったかもしれません。けれども所得が200万円に満たない人々がどんどん増えて、これって本当に幸せな社会なのでしょうか。まさにこの辺で踏みとどまって考え直さないと大変なことになるとみんなが言っているときに、まだそれに逆行して、徹底して、それでも俺たちは儲けるんだと言っている人たちがTPPを進めようとしています。
これを食料にも医療にも徹底したらどうなりますか。医療も深刻ですよね。医療も食料も人の命に直結する公共財ですから、これを米国流の「勝った人だけが得られればよい」という議論にしちゃったら人々はもたないですね。私も米国に2年間おりましたので、医療の問題は深刻に受け止めています。2年間おりました。歯を1本抜くと百万円かかると言われました。だから私は毎朝、歯が痛くならないようにお祈りをしながら暮らしていましたが、ほんとに歯が痛くなった人は飛行機に乗って日本に帰ってきて治してまた戻ります。この方が安い、これが現実なんです。
コーネル大学という大学におりましたが、教授陣と食事会をすると二言目には出てくるのは、鈴木さん、日本の国民健康保険の制度を教えてくれということです。こういう仕組みを米国に導入しないと米国はもたないと言われました。ところがTPPをやったら日本が米国のようになるのです。『シッコ』という米国のドキュメンタリー映画では、2本の指を切断してしまった人が、彼の保険の限度で、一本だけ接合してもらい、一本はゴミ箱に捨てました。これは、まだましなほうで、全く払えない人は、瀕死の状態でも病院は治療を拒否します。
それがTPPの本質だということです。TさんやOさんは、小泉改革の時に大臣とかやった立派な政治経済学者ですけれども、非常に単純明快です。聞いていると要するに何もいらないと言っています。政策を研究している政策学者が政策がいらないと言うなら、じゃ、あなたもいらないんじゃないか、となってしまいます。極論はやめてほしいのです。確かに既得権益を守る要素の強いルールについては緩めた方がいいものもあるでしょう。だからと言ってすべてなくせばうまくいくなんて、人類の歴史を否定しているんだから、そんな議論をやってはいけない。一番適切なレベルというのはその中間にあるわけだから、なぜその現実的なレベルをきちんと議論しないのかということですね。米国の戦略性は、日本などからの留学生に市場至上主義への「信仰」を根付かせ、帰国後に活躍する人材を輩出してきたことにも窺えます。
3. 失うものが最大で得るものが最小の史上最悪の選択肢
TPP問題を冷静に議論するには、「経済連携を進めて貿易拡大するためにはTPPしかない」わけでなく、目の前に、日中韓FTA(自由貿易協定)、日EU、ASEAN+3(日中韓)が年内に具体化しようとしていることを忘れてはならなりません。
兼業農家の皆さんもこう言います。TPPやって農業収入は減るかもしれないけれど、兼業収入が増えるからいいじゃないかと。間違いです。TPPをやったら農業収入も減りますが、兼業収入も減ります。ほとんどの方は得しません。これがTPPなんです。私たちが反対と言っているのは、何でも反対と誤解されがちですが、経済連携そのもの、貿易拡大の流れそのものを誰も反対と言っているわけではありません。これが重要です。日本にとって、アジアにとって、世界にとって、本当に均衡ある社会の発展、人々の幸せにつながるような経済連携を我々は選ばなければなりません。それなのに、その中で一番失うものが大きい、全ての関税をゼロにして、社会のシステムをガタガタにして、失うものは最大なのに、得るものは、内閣府の試算でも、日本が10カ国でTPPやっても日本のGDPは0.5%しか増えません。2兆7千億円、これは10年間くらいの累積だということで、1年にすると誤差の範囲です。日中2国でもそれより多いし、ASEAN+3(日中韓)だとTPPの倍です。TPPのメリットは他のFTAと比較して一番小さいわけです。失うものが最大でメリットが一番少ないのだから、これは最悪ということですね。なんでわざわざ最悪のFTAを選ばなければならないのか、もっと柔軟で互恵的な、みんなの幸せにつながるような経済連携がアジアの国々やEUとたくさん具体的に出てきているのに、それをやらずになぜTPPに飛びつかなければいけないのか、選択肢として間違っています。このことをきちんと議論しないといけません。
試算に込められた思惑-数字は操作できる
いろんな省庁がTPPは損か得かと計算したのがあり、これでどれがほんとか悩まれた方もいると思いますが、結論から言うと、こういう数字はあまり気にし過ぎない方がいいということです。農水省の7.9兆円の損失というのは、まあいい数字ですが、若干水増しかもしれません。経産省の輸出産業の10.5兆円のプラスというのは相当に水増しです。でもなぜか水増し同士を差し引きすると内閣府の計算した2兆から3兆のプラスにだいたい合っているんですね。
でも私が内閣府の同じモデルで学生さんに計算しなおしてもらったらほぼゼロに近い数字でした。ほぼ利益がないはずなのになぜプラスが出てくるかというと、皆さん、数字が合わないときはどうされますか、鉛筆をなめればいいということですね。モデルの場合は簡単でして、仮定を変えればいいのです。TPP で競争が促進されれば生産性が向上してコストが半分になるとか、こういう風に仮定を置けば利益が出てきます。こういうことが実際に行われているわけです。こういう分野を専門にしている私が言うんだから間違いないけれども、逆に私の専門分野はいい加減なものなのだと思われるかもしれませんからこれ以上は述べません。
そもそもこういう数字がもう一つ問題なのは、せまい意味での銭金だけで、農業がそこにあることの意味とかが全然入っていないわけです。一番わかりやすいのは、いま、田圃が崩壊しているところで何が起こっているか、洪水ですよ。洪水が頻発しています。日本中の田圃がTPPで崩壊すれば少なくともダムを造るのに3.7兆円かかるというのが農水省の試算です。だったらこれはコストじゃないですか。これを引いたらもうプラスは消えちゃうわけですよ。だからTPPをしてはだめだという結論になるわけですね。総合評価というのはまさにこうやって出てくるものなのに、経済学でもこういう風に計算するのが現在の常識なのに、わざとこういう計算においては60年前の経済学に戻してしまう、いうことを意図的にやっているわけです。
図1 TPP参加による日本の主要農産物の生産量変化(%)
-GTAPモデルによる試算の過少性の検証-
資料:東京大学修士課程山本成信君による試算。
注:アーミントン係数の既定値をそのまま使った場合、日本の農産物生産量の減少は、米7割弱、小麦5割弱、砂糖・牛肉2割弱、乳製品3%となり、農水省試算の、米90%、小麦99%、砂糖100%、牛肉75%、酪農56%などとは大きな格差があった。例えば、平均で1kg80円は超えている乳価の日本酪農が、1kg19円のオセアニアの乳価と競争して生産が2.95%しか減少しないという試算は受け入れがたい。そこで、アーミントン係数を既定値から少しずつ増加させ、輸入と国産の代替性を徐々に強めて試算してみたが、米以外の品目については、農水省試算との差は容易に縮まらないことがわかった(図1ではアーミントン係数を1.25上乗せした試算値との比較を示している)。つまり、輸入と国産の代替性が小さく設定されているGTAPモデルの結果に基づいて、農業への打撃は少ないというのは極めて危険である。しかし、そのような過小評価傾向のモデルであっても、米については、7割近い生産が失われると試算されていることは逆に注目される。「ゼロ関税でも米生産は減らない」という主張に対して、強力な反証の一つになる。
4. これまでの経緯-国民無視の「ポチ外交」の暴走を許すのか
民主主義国家の体を成さない政策決定プロセス
今回の政策決定のプロセスは民主主義国家の体をなしておりません。2011年11月、ハワイで日本のTPP参加表明が強行されました。都道府県知事で賛成と言っている方は6人しかおりません。都道府県議会47分の44が反対または慎重の決議をしています。市町村議会の9割が反対の決議をしています。地方紙はほぼ100%が反対の社論を展開しています。北海道などは、知事も道経連の会長も先頭に立って、北海道がつぶれるということで大変な動きを示しています。国会議員の半数以上が反対署名もしました。これが日本の実態です。国土の9割が心配しているというのが私の実感ですが、それを無視して結論ありきで進めているわけです。野田総理も、早くから「いつボタンを押すかだけだ」と漏らしていました。
しかも徹底した情報操作によって、国民にはできるだけ情報を知らせないようにしています。参加表明する直前に世論調査をしたら、9割の国民が情報が不十分だから結論が出せない、分からないと言っています。そういう状況をわざと作り出してきたということです。出していい情報は一つだけありました。食料・農業問題です。農業問題については、特にこれは農業関係の皆さんが不安を表明しているから、それを逆手にとって、農業が悪いんだ、農業を改革すればTPPに入れるんだという議論に矮小化してしまおう、そうすれば他のたくさんの問題を国民に知らせずにすむと、国民を騒がせないのが我々の仕事だということですね。このために農業悪玉論、農業改革論を前面に出し、マスコミを見ればわかるように、たくさんの議論はまるで農業だけのように行われようとしました。それは意図的なことです。
そもそも、大震災のすぐあと、内閣官房から私のところに人が飛んできまして、大変なことになりそうだと。震災のことではありませんでした。TPPです。TPPについてはこれで情報も出さず、国民的議論もせずにすむと、で、11月に滑り込めればいいのだから、直前の10月ごろに急浮上させて強行突破すればいいんだと言っている人が内閣官房の半数以上だと、大変なことになるから議論してくれという要請が私のところにありました。残念ながら、そのとおりにされてしまいました。なんとか皆さんと議論しようと必死にやってきたわけですが、残念ながら、マスコミも含めての徹底した情報操作、そういうやり方によって参加表明はもうなされてしまったわけです。
総理が決意表明を見送った本当の理由
いまのポイントは、日本の参加表明を米国が承認する事前協議です。野田総理は11月にハワイで「日本の誇る医療制度とお母さんの背中で見た美しい農村を断固として守りぬく」と言ったわけですね。本人は「ウソも方便」だとしか思っていません。一方で米国に対しては何でもやりますと言ってしまっています。
政府は、この前の4月30日に、野田総理が訪米してオバマ大統領と会ったときに、日本の参加について再度の「決意表明」をし、オバマさんから、わかった、日本の参加承認について議会へ通告するよ、と言ってもらいたかったのです。それは「未遂」に終わりました。6月18~19日のG20首脳会議でも決意表明は見送られました。今回、総理が決意表明を見送ったのは、国民の反対・懸念が強いからではなく、まだ、米国が日本からの「頭金」に納得していないからです(次の機会は9月のAPECではないかと言われていますが、日本はすでに2011年11月に参加の意思表示をしていますから、日本が再度「決意表明」しなくても、米国が「頭金」を払ったと認めた時点で、いつでも日本の正式参加が決まってしまう危険もあります)。国民がいかに懸念を表明しようが、そんなものは無視することは最初から決め込んでいます。「外交交渉は内閣の専決事項だから勝手にやってよいのであって、文句があるなら批准の時に議論してくれ」というのが本音です。
裏交渉が進み、いつ参加承認されてもおかしくない
米国からは、TPPに入れてほしいなら「頭金」ないし「入場料」を払えと、自動車、郵政、BSE(狂牛病)などの懸案事項の解決を突きつけられています。自動車については、軽自動車の区分、車検、エコカー減税の廃止、米国車の日本市場におけるシェアの目標設定・達成を要求し、郵政民営化が逆行していると怒り、つい先日、カリフォルニアで発症した牛が見つかったのに、BSE(狂牛病)についての輸入基準を緩めよと迫っています。まさに「言いがかり」です。
懸案事項が解決されたと米国が納得しないと、米国政府は議会に日本の参加承認を求める通告ができません。それにしても、関税がゼロの日本の自動車市場に対して、粗悪品でも無理矢理ここまでの台数は輸入しなさいという最低輸入義務まで要求するとは、何が「自由貿易」でしょうか。通常なら、このような「いちゃもん」について国民的議論をすれば、「できなことはできない」と毅然と米国に回答せざるを得なくなり、TPPの正式参加はなくなります。しかし、日本政府は、水面下の条件提示によって、国民には曖昧にしたまま、何とか折り合いをつけ、参加承認にこぎつけようと必死の交渉を行っています。だから、「情報収集のための事前協議」と繰り返していますが、それは全くのウソです。
すでに、BSEについては昨年10月に条件緩和を表明しました。国民の命を守るための安全基準を米国への服従の証として差し出してしまったのです。かんぽ生命の「がん保険」への新規参入を当面見送ることで郵政についても譲歩しました。現在の焦点の一つは自動車です。
必死で「入場料」を払っても、交渉の余地も逃げる余地もなし
韓国は韓米FTAの交渉開始の「頭金」として多くの譲歩をさせられた時点で勝負は決まってしまったと悔やみ、日本に「この段階で食い止めないと取り返しがつかなくなる」と警告しています。なのに、逆に、日本は無理な譲歩してでも早く入れてもらおうと必死に画策しているのです。しかも、米国は「日本の承認手続きと現9ヵ国による協定の策定は別々に進められる」と言っています。最近、米国がメキシコやカナダの参加を認めたときも、「念書」が交わされ、「すでに合意されたTPPの内容については一切変更を求めることはできないし、今後、決められる協定の内容についても、一切、交渉に口は挟ませない」ことを約束させられています。つまり、日本は、法外な「頭金」だけ払わされて、ただ、できあがった協定を受け入れるだけなのです。ですから、「とにかく入って、例外を作ればいいんだし、いやなら逃げればいい」というのはウソで、これだけのいちゃもんを米国から突き付けられて、なんでもやりますと言って入ったら、もう交渉の余地も逃げる余地もないわけですよ。
情報は出てこないか、出てきてもウソ
しかも、こんな必死の譲歩をして参加承認を画策しながら、政府は「日本のTPP参加と自動車、郵政、BSE問題などの問題は何ら関係がない」と口裏を合わせて答えます。しかし、そう言った直後に、米国側の資料から、5月7日に米国からの使者が日本にTPP参加の「頭金」として10項目の自動車関連の要求事項を突きつけ、日本側からも譲歩案を提示したことが判明しました。それでも、国会議員の会合でも「何も説明できない」と1時間繰り返すだけでした。誰にもわかるウソを平然と言い続け、ここまで国民を愚弄し、暴走する一部の官僚、一部の政治家は異常です。このまま責任をとらずにすむと思っているなら大間違いです。
これまでにない協定だから、やっていいかどうか議論して決めましょうといいながら、どうですか、震災前にやっていた開国フォーラムだってそうだし、最近やっている説明会だって、具体的に、じゃあ看護師さんがどれくらい入ってくるんですかと聞いたら、わかりません、とりあえず入ってみてから考えましょう、と何も答えになっていません。議論して決めるんじゃなくて、わからないからとりあえず入ってみようしか言わないわけです。
一部の官僚に国民を騙し、売り飛ばす権利があるのか
徹底した情報操作とウソはひどい。衆議院の議員会館で、この間開かれた説明会にも出ましたが、各省が出してきている文書は、何とかしてTPPに皆さんが抱いている懸念は大丈夫なんだと言うためにあからさまに意図的に作ってあるペーパー、懸念に全然答えず、大丈夫だと思える部分だけは強調して出して、それでごまかそうということがありありとわかる、露骨な情けないペーパーでした。質問してもまともに答えない。政府は一体となってそういう指令でやっている。農水省だけです、懸念があることをはっきり言ったのは。他の省は全く答えません。省庁間でも水面下のバトルがあります。こんな情報を隠していたら後で日本は大変なことになりますよ、いま、国民の皆さんに議論していただかないとまずいじゃないですかと、ある省が言っても、縦割りの所轄官庁は、だめだ、国民を不安にしてはいけない、騒がせないのが我々の仕事だと。
政治家は何をしているのか
わずかな自分たちの利益のために国民全体を売り飛ばしているようなものであり、しかもそのやり方がとにかく国民には知らせないで勝手にやってしまえばいいという、これはTPPが良いか悪いか、賛成か反対かを超えて、これだけの日本の将来がかかっている協定について、国民をだまし、情報を隠し、勝手にやってすむと思っていること自体が、人の生き方として許されるのでしょうか。まさに恥を知ってほしいと思います。そして、どうして、このような暴走を覚悟を持って止める政治家がいないのでしょうか。それがいまの状況です。
5. 深刻な一連の情報操作
「殺人罪」でも捕まらない日本社会の異常
一連の情報操作はひどいものがあります。放射能の問題もそうでしたね。TPPも全て同じような構図です。炉心溶融にしろ、飯館村にあれだけの放射能が飛んでいることも、次の日には外国から指摘されていたのに、日本は、同じ情報を持っていながら2カ月も隠していたわけですね。人の命にかかわる情報を隠したのだからこれは殺人罪です。その間にたくさんの子どもが被曝したわけですね。こんなことをやって罪に問われないということが全くおかしい。うちの大学の中国の学生さんは逃げるように次の日、中国に戻りました。それを見て、なぜこんなに過剰反応してるんだと半ば笑っていた人もいました。笑われていたのは日本人ですよ。本当のことを教えられていないから冷静に行動しているように見えただけというこの滑稽で悲しい現実。しかも最近は冷温停止で終わったとか。何も終わってないですね。毎日原子炉からまだたくさんの放射能が出ている、その放射能の量についても、マスコミを含めて伏せているわけでしょう。こんなことをいまも続けていて罪に問われない。
「犯人が自分で自分を裁いている」
原発そのものもそうだったじゃないか、大丈夫、大丈夫、と国も企業もマスコミも研究者も言い続けてきました。大丈夫でないことを百も承知の人たちが大丈夫と言い続けてこんな取り返しのつかないことを起こしてしまいました。それなのに想定外だったと言って同じ専門家の人たちが次の計画に携わっているわけです。自分達が関与してこんなことを起こしてしまったら、まず謝って、一生償ってでも、何とか皆さんのためにやれることをやるのが普通でしょう。それが平気な顔をして、自分は悪くなかったような顔をして次の計画に携わっているから、原発は必要だとか、津波が来たら逃げればいいとか、前と変わらない方向しか出てきません。本来なら牢屋に入ってなければいけない人たちがのうのうとやっているのが、この国のシステムの間違っているところです。まさに、「犯人が自分で自分を裁いている」(中央大学佐久間英俊教授)。
TPPも同じなわけです。TPPが大丈夫でないことを百も承知の人たちが大丈夫、大丈夫と言い続けて、国がとんでもないことになった時には、俺は別に責任を問われなくてもすむだろうと思っているからこんなこともできるわけです。ここが根本的に間違っています。それから大きなお金が動けば人は変わってしまいます。これも深刻に思います。うちの大学の原子力の先生なんかも6億円もらって大丈夫、大丈夫と言っていたという話もチラホラと聞こえてきますが、研究者にとって6億円は大きいですね、私も・・・。
P4協定をなぜ説明しないか
P4協定というのは2006年にできた4カ国の協定でこれを強化する形でTPPを議論しているのだから、なぜこれをきちんと説明しないのでしょうか。けれども未だに外務省は、160ページにも及ぶ英文の法律ですけれども、正式な翻訳も出していません。それが実態です。
ですが、この中で問題になってきたのは公共事業です。公共事業の入札に英文でペーパー作ってTPPの各国に出さなきゃいけない、金額がものによっては30分の1くらいの金額でも出さなきゃいけなくなります。例えば地元の小学校を作るのに、地元の業者さんが作ってくれると思って入札にかけたら、突然米国の業者さんが作ることになってたくさんの雇用がそこで失われてしまいました、などということが実際に起こると。経産省の試算でも、分野によっては、いままで対象になっていない公共事業の4割が新たに外国に開放される可能性が指摘されています。
韓米FTAを説明しないように指示
それから韓米FTAの内容を隠し続けたということも大きな問題ですね。韓国で何が起きましたか。韓国では、韓米FTAを批准する国会で催涙弾が投げ込まれて強行採決したじゃないですか。何であんなことになったか。実は米国は日本に対してもTPP に入りたいなら、韓米FTAを見てくれと、韓米FTAを強化するのがTPPなんだからそれを見ればわかるでしょうともうずっと前から言っていたわけです。でも政府はこれは大変だと、それなら国民に知らせたらいけないということで何とかこれを説明しないようにしました。
実は韓国政府も韓国国民に韓米FTAの内容を隠し続けて、批准の直前になって言わざるを得なくなって、韓国中が騒然となり、もう一日置いたら10万人、20万人のデモになってしまうということがわかったので、その前日に、催涙弾を投げ込まれても強行採決をやらざるを得なくなりました。日本もこんなことになってもいいのかということです。
韓米FTAについては、①直接投資は徹底した自由化で、例外だけを少しだけ認めるとか、②サービス分野の人の移動、エンジニア・建築士さんとか獣医師さんの資格の相互承認を進める協議会を作るとか、③日本郵政にあたる韓国ポストとか、いろんな共済事業がありますが、こういう金融・保険は競争条件を無差別にしなさいと、公的介入や優遇措置と思われるものは全部やめなさいと、それから④公共事業の入札金額引き下げ、⑤毒素条項、すべて入っているわけです。
しかも更に韓米FTAを交渉してもらいたいなら、前提条件として認めろと言われたのが、①遺伝子組み換え食品について米国が大丈夫といったものは自動的に韓国でも受け入れなさいとか、②国民健康保険が適用されない米国の営利病院が認められる医療特区をいくつも作っています。それから③BSE、こういうものが、交渉をする前の段階でもう認めさせられています。韓国の人がこの前日本に来られて言っていました。こういう先決条件を認めてしまったらその時点でもう終わりだと。日本は頑張らなきゃだめだと。まさにいまの事前交渉になっているような状況、ここでできないことはできないと言わないと大変なことになるよというのが韓国からの忠告です。
これだけのいろいろな根拠に基づいて私たちは議論しているわけです。それなのに誰ですか、TPPおばけが根拠のないうわさで人々を不安に陥れていると言った議員がおりますよね。私もTPPおばけの一人だと言われていますけれども、このくそまじめだけが取り柄のような私の顔がウソで人を欺くような顔に見えますか、だいたい人は顔をみればわかるものです。
6. 震災復興とTPP
目先のコストの安さに目を奪われてはならない-食料の位置づけ
大震災は食料の位置づけも考えるきっかけになったと思いました。目先のコストの安さに目を奪われて、いざというときに準備しなかったら、とんでもない取り返しのつかないコストを払うことになる、と原発に思い知らされました。食料もそうじゃないかと。国内で作るのは米国やオーストラリアに比べれば高いですよ。高いからといって、全部安い輸入に任せておけばいいとなったら、いざというときにどうなりますか。国民は食べられなくなります(自由貿易の利益の議論には、長期のコストが含められていないのです)。だからこそ、少々高いように見えても国産をがんばって作って下さっている皆さんをしっかり支えてこそ、実は長期的にはコストは安いんだと、こういうことをまさに原発に思い知らされたはずなのに、TPPやるとなったら、農業は崩壊です。それで食料は輸入すればいいんだという議論が主流になっているのですから、全く教訓が活かされていません。
復興のためにTPPのショック・ドクトリン(災害資本主義)
それから震災復旧とTPP の議論が経済界から出たときに驚きました。東日本の沿岸部がぐちゃぐちゃになったのがいい機会だ、これをガラガラポンして大規模区画の農地作って、これを経済特区にしてそこに企業が1社入ってこれを全国モデルにすればTPPも怖くないと。むちゃくちゃですよね。大変な被害を受けても、自分達のコミュニティと生活を何とか立て直そうと必死でがんばっている人たちに対して、ぐちゃぐちゃになったからあなた達はもういいよと言い出した。しかも特区にして企業が1社で大規模農業をやってそれが全国モデルになると言う。これだけ大災害があって初めて大規模区画ができるというなら、日本の農地はそんなに簡単に大規模区画になるわけはないんだから、全国モデルにするなんて言ったら、全国で大災害が起こらなければいけないのか、そんな馬鹿な話はありえないですね。しかも、TPPも怖くないといいますが、この写真を見て下さい。この西オーストラリアの農業は目の前1区画が100ha(ヘクタール)です。東日本の沿岸部に作ろうと言っている区画が2haです。
目の前1区画が100haあって、全部で5800haを一戸で経営していても地域の平均よりちょっと大きいだけだという、こんな農業と日本の農業がまともに戦って勝って輸出産業になればいいじゃないかと、よく言うなと思います。現場を見ろ、ですね。これだけの違いがあれば、日本の北海道、日本で一番強い農業だといわれる北海道でもこれと同じような輪作で畑作をやっていますが、せいぜい30ha、40haですよ。こっちは適正規模1万haというわけです。こういう農業とまともに戦ったらひとひねりで負けてしまうわけです。日本で一番強い農業だと言っている農業がまず先につぶれてしまいます。
現場を無視した議論の虚しさ
現場を見ればわかりますし、写真を見ただけでもわかります。こういうことを無視してゼロ関税で戦って強くなって輸出産業になるんだと。日本の農業も頑張ってきましたよ。頑張ってきたけども、土地条件の差は超えられない部分があるのです。当たり前のことです。それをわざと無視しているのか、わかっていてウソをついている。
最先端で努力している方々の状況や気持ちを無視した議論が多すぎます。震災復旧でもそうです。仙台に2011年の12月にお邪魔したら、7月から農業、農地の状況は全然変わってないと、年が明けても何も変わらないという話です。えっと思いました。現場は必死でプランを立てていますが、それを動かすための国のまとまった予算がおりてこない。おりてきても使い勝手が悪いのです。原発の補償だって義捐金だってそうだったじゃないですか。何とか現場では必死でやろうとしているのに、それを動かすための一番重要なものがなかなかおりてこない。それなのに復興会議では40年後くらいの夢みたいなプランがと飛び交っていました。こんなことで物事が解決するわけがないのです。
7. TPPによる農林水産業、国土、地域の崩壊
日本人の体は「国産」でないほどに市場開放されているのに「農業鎖国は許されない」とは?
農業などは鎖国してきたのだからもっと開放しなければいけないんじゃないのという議論があります。でも、ご存知の通り、日本は鎖国ではありません。製造業の関税だって世界で一番低いし、農業の関税も非常に低い。それが証拠に、皆さんの体の原材料の61%は海外に依存しているんです。これはFTAでよく出てくる原産国表示ルールで言えば、皆さんの体はもう国産じゃないんです。こんな体に誰がしたんだというくらいの開放度です。これだけ開放してしまっている日本において更に開国を徹底すると言ったら、もうこれだけは国民のために譲れないといってきた部分を全て喜んで明け渡すということですから、大変なことです。
地域社会の崩壊
農林水産業への影響は大変です。すでに国産とは言えない体になっている我々ですが、米とか乳製品とか、ごくわずか1割程度の高関税品目があります。これもゼロ関税にするということは、日本の農地は荒れ果てます。まず田圃で米を作れなくなる。日本の田園風景は一変しますよ。そうなったら野菜を作れば大丈夫だと。大丈夫じゃないんですよ。みんなが野菜を作ったら、野菜は2割増産したら価格は半分ですから、もう何を作っていいかわからない状況が広がって農業がどんどんつぶれていきます(例えば、小麦、ビート、ばれいしょ、タマネギ等を生産する北海道の畑作地帯で、タマネギには影響がないかというと、けっしてそうではありません。相対的に高くなくとも、関税が撤廃される影響は存在するし、小麦、ビート、ばれいしょ等が大きな被害を受けるとなると、それらの品目からタマネギへと生産がシフトするので、タマネギの価格が暴落します)。そうすると一次産業がその地にあることによって成り立っているのが日本の地域のほとんどなわけですから、そのベースを失ったら関連産業も消え、観光業もだめになり、商店街もなくなってどんどん地域が衰退していく、こういうことが全国に広がるということをどう考えるかということです。
国土、領土に脳天気でいいのか
それから、一次産業が国土・領土を守っているということを皆さん、考えてみて下さい。例えば北海道でゼロ関税になる重要品目、米と酪農と畜産物と畑作、砂糖も含めてですが、みなゼロ関税になったら北海道で作るものがなくなります。北海道はまさに農業があって産業が成り立っているから、北海道そのものが人が住めなくなる。まさにこれは領土問題ですね。沖縄もそうです。沖縄で砂糖がゼロ関税になると、島でサトウキビが作れなくなると尖閣諸島みたいなところがいっぱい出てくるわけです。これをどう考えますか。
同じことはもう山で起きているわけです。昭和30年代に木材がゼロ関税になって、林業は輸出産業になったか(篠原孝議員が問題提起)。残念ながら山は二束三文になって木材の自給率も95%から18%まで下がって、いま、二束三文の山を外国の方の方が高く買ってくれるというので、気がついたら日本の山がどんどん外国の領土になっているわけですよ。外国の方は1億円の札束をいくつも持って現金で買ってくれると言います。北海道の山も相当部分がそういう形で外国のものになっています。こういう、まさに一次産業が国土を守っているという、このこともヨーロッパなんかでは当たり前じゃないですか、本当に脳天気なのは日本だと思います。
8. 農業のせいで従来のFTAが決まらなかったのだからショック療法しかない?
農業が障害だからいままで進まなかった、だからTPPしかない、という議論がありますが、これもウソです。皆さんにきちんと確認してもらいたのですが、農業のせいでFTAが決まらなかったことは実は一つもありません。私はいままでのFTAの事前交渉にほとんど参加してその実態をよく把握しています。
例えば日韓FTAが農業のせいで中断している、ウソです。本当は韓国の素材・部品産業が日本からの輸出で被害を受けるのは政治問題になるので何とか日本からも一言でいいから技術協力について触れてくれと韓国が頭を下げました。それに対して日本の業界と管轄官庁は何と言ったか、そんなことまでして韓国とFTAをやるつもりは最初からないと。だから韓国は、あなた達が一番やりたいと言っていたじゃないですかと怒って、それで交渉は中断です。しかし夕方の記者会見になると、そうやって交渉を止めちゃった人たちが、また農業のせいで止まっちゃいました、と説明するんですよ。それで、新聞はいっせいにまた農業のせいで止まったと書く、こんなことが繰り返されているんですよ。これが実態です。
農業が問題になることもあるけれども、農業はむしろ米の関税はゼロにはできない、けれどもタイの農業発展のために技術協力しましょうと申し出て、いち早く合意しているわけですよ。最後まで残るのは自動車です。マレーシアも農業が先に決まって自動車が最後まで残ったのです。
サービス分野だってそうです。日本はそんなにサービス分野の自由化はできません。TPPで全てやるなんて本当でしょうか。看護師さん、マッサージ師さん、いままでもずいぶんたくさんの国から言われました、でもK省は、もう足りている、と言って止めてきているわけでしょう。他もそうですよ。K庁もそうで、日韓FTAの事前交渉を8回やりましたが、K庁は一度もテーブルに着きませんでした。なぜか、金融関係で日本が譲ることはひとつもないので、交渉のテーブルにつく時間がもったいないというのです。これくらい徹底しているのがサービス分野です。
そういう意味では、一番障害になっていると言われている農業が、難しい分野があっても一生懸命誠意を持って交渉している。もう一つ問題だと思うのは、アジアの人々を人とは思わないような罵倒の仕方をする交渉官がけっこういることです。これはやめていただきたい。交渉というのは戦いだと言いますけれど、人と人、心と心のつながりで考えないとだめじゃないですか。そういうことを日本がやっているというのは本当に情けないことです。そういう意味では一番問題だと言われている農業分野が、実は一番誠意を持ってやっていると言っても過言ではありません。
9. 所得補償するからゼロ関税でも大丈夫?
<米関税ゼロの場合> (14,000円-3,000円)÷60キロ× 900万トン=1.65兆円
農業は所得補償予算をしっかりつけるから大丈夫だという議論があります。これはウソです。残念ながら米だけで財政破綻します。米をゼロ関税にした場合には差額補てんをやりますと、米だけで毎年1.7兆円も支出しないといまの米の生産を皆さんに確保することはできません。他の作物を含めると4兆円かかります。毎年4兆円の財政負担を農業だけに皆さん払ってくれますか。消費税2%分ですよ、できるわけないです。だからゼロ関税にして強い農業を作る予算をつけるというのはウソです。つけられるわけがないです、お金がないから。だからゼロ関税にすること自体が無理だということです。
輸入米は価格上昇しているから大丈夫?
それから、よく言われますが、輸入米価格は3,000円/60kgでなく、9,000円くらいになっているから大丈夫ですと。これは間違いです。SBS(売買同時入札方式)で9,000円程度となっている現在の価格は、輸入枠があるため輸出国側がレント(差益)をとる形で形成された高値と判断できます。したがって、輸入枠が撤廃され、自由な競争になれば、レントを維持できなくなり、生産コストのレベルでの競争になることを考えると、輸入価格を現状の9,000円のままと見込むのは危険です。
昨日までと正反対のことを平気で言う人に注意
日本の農産物は品質がいいから大丈夫だとか、世界は供給量が限られているから大丈夫だとかいう議論がありますが、これにもたくさんのウソがあります。昨日までは品質とか量はビジネスチャンスにもとづいてどんどん動くものだということを強調していた人たちが、いまはTPPでも大丈夫だということを農家の人々に説明している、日本のお米は品質がいいから大丈夫だとか、カリフォルニアは水がないから大丈夫だとか言うわけですよ。でも、この間NHKがY県で、Y県の生産しているトップクラスのお米の「T姫」とカリフォルニア米を目隠しで食べ比べてもらったら、なんと半数以上の消費者の方々がT姫よりもカリフォルニア米の方がおいしいと言ったんですね。これだけ品質が高いわけです。
カリフォルニアは水がないから大丈夫だというのもウソです。カリフォルニアはそうかもしれないけれども、アーカンソー州は水浸しなわけでしょ。だからビジネスチャンスが日本で生じれば、アーカンソーでは明日からでもいっぱい作れるのです。ベトナムでもジャポニカはいっぱい作れる、だからこういうことを知っている人たちがTPPに賛成と言うときには、いままでと正反対のことを言うんですね(注)。
(注)ベトナムをいじめるのでもウソがあるのは、ベトナムを徹底していじめればいいという人たちは別の場面では、TPPというのは多国間の交渉だから緩やかな協定になるので大丈夫だと言っている。でもベトナムの話になると、日本とベトナムの2国間の協定ではベトナムが例外を作っちゃったので攻めきれなかった、TPPは全て何でもなくすのだからこれで丸裸にしていじめられると言っているわけでしょ。一方では緩やかな協定になると言ってみたり、一方では徹底した自由化・規制緩和だから日本が得すると言ってみたり、無理にメリットを言おうとするから、いたるところに矛盾が生じてくることもわかります。
10. 食品の安全基準は各国が決められる?
BSE(狂牛病)-国民の命守る基準を「露払い」で差し出す愚行
食品の安全性に関して、まず言われているのはBSE(狂牛病)の問題ですね。日本では20ヶ月以下の若い牛しか輸入していませんが当然ですね。米国ではBSEの検査はきちんと行われていないのです。だから、最近カリフォルニアでBSE感染牛が見つかったのは、たまたまで、氷山の一角です。24ヶ月齢くらいの牛から米国でBSEが出ています。それから、『フード・インク』という映画は日本でもけっこう有名になりましたが、これを見ても明らかに狂牛病の疑いがあるような牛が肉にされているような様子も描かれています。不安ですから、どうしても国民の命を守るためには、基準を緩めることはできないというのが普通です。
韓国も同じようことを実施していたわけですが、韓国は韓米FTAに入る前提条件として米国から緩めるよう言われてやらざるを得なくなりました。何と日本はどうですか。この間11月にハワイに行くその前に10月頃に新聞報道でびっくりしましたね。日本はもうやめますと言っちゃった。国民の命を守るための安全基準を、米国にハワイで土下座して何でもやりますと言うための露払いとして、もうこれもやめますと言っちゃった。人々の命を守る安全基準を米国に忠誠を誓う証に、これもやりますからよろしくと出してしまう、そんな国がありますか。なのに、米国に対して交渉して例外を作るから任せてくれと、任せられるわけがないじゃないですか。
遺伝子組換え食品が世界を覆う
それからよく議論になる遺伝子組換え食品の表示の問題もそうですね。大丈夫みたいに言いますけれども大丈夫じゃありませんね。すでにオーストラリア・ニュージーランドもTPPの交渉の中で、米国にこれをやめなさいと言われています。米国は「予防原則」を認めないと言っています。米国が科学的に安全と認めたものは安全なんだから、他の国が心配だからといって規制したり、表示したりすることさえ許さないと。安全だと認めたものに表示することは消費者をだますことだからやめなさいというわけです。
遺伝子組換え体(GMO)の種子販売がM社などに独占され、特許がとられており、TPPで世界中の種がGMOになっていくと、世界の食料・農村はM社によってコントロールされていきます。GMOの種がこぼれて在来種が「汚染」されていく事態も広がっています。農家はそれまで自家採取してきた種を、毎年高い値段で買い続けなければならなくなります。そのための借金などが途上国の農村経済に暗い影を落としていることが、インドの農村の自殺率の上昇の例で指摘されています。
いまも危険なポストハーベスト農薬もさらに緩和
それからポストハーベスト農薬についても、米国から運んでくる時に腐らないようにたくさんふりかけている、いまでも相当に危ないんじゃないか、みな食べていますが。だけど米国はまだふりかけ足りないと言うわけですよ。日本の基準が厳しすぎるからもっと緩めてもっとふりかけさせてくれと。食品添加物については、日本では800種類くらいしか認めていませんが、米国は3000種類認めています(小倉、2011)し、農薬の残留基準についても、ものによっては米国では日本の60~80倍も緩い基準が採用されています。こうして日本の多くの安全基準が緩和される可能性があります。
こういうことがどんどん出てきているわけですが、政府は言います、食品の安全基準とか検疫措置は各国政府が決める権限があるのだから緩められることはないと。ウソです。去年の12月でしたけれども、米国の公聴会でマランティスさんという取りまとめ役が、日本などが不透明で科学的根拠に基づかない検疫措置で米国の農産物を締め出しているのは是正すべきであり、TPPにおいては米国自身がこれをチェックして変えられるようなシステムにすることに自分は執念を燃やしていると言っているのですから、大丈夫ではありません。
しかもISDの毒素条項があれば、こういうものは企業から見れば間違いなく参入障壁だということで、これを緩めろという議論は出てくるわけですから、そういうことを考えると政府の言っていることは疑わしい。とにかく情報は隠すか、ウソをつくものだと、これを徹底しているように思われます。
11. 食料に対する国民の意識
安さに目がくらむ消費者になぜなったのか
世論調査では、「高くても国産買いますか」に90%がハイと答えるのに、自給率は39%というのが日本です。60kg3,000円くらいでお米が入ってくるわけです。日本のお米1俵は生産者段階で14,000円くらいかかります。1俵14,000円の日本のお米に対して1俵3,000円、しかも日本のお米よりかなり美味しいとなったら、何が悪いんだと。牛肉も40%くらいの関税がなくなるから牛丼が100円になるかもしれない。私は「狂牛病」牛丼でも食べるぞという人もいっぱいいるでしょう。これが日本なんですね。残念ながら日本ほど安ければいいという国民はおりません。世界的に見てもなぜこのような国民性になったのかと思うくらい、ヨーロッパなどに比べてそういう点の認識は低いと思います。そういうことについてもっと考えましょう。こういうことについてきちんと考えないとなかなか本質的な解決はできません。生産サイドの皆さんも、自分たちの生産物の価値を、農がここにある価値を、最先端で努力している自分たちが伝えなくて誰が伝えるのか、もう一度問わねばならないと思います。
戦略物資としての食料の認識の乏しさ
食料とは、軍事・エネルギーと並んでまさに国家存立の三本柱だと言われていますが、日本ではその認識が全くありません。農業問題になると、自分達の食料を将来にわたってどのように確保していくか、そのために生産者をどのように保護していくのかという話になるところが、日本では農業が悪いとか、農政が悪いとかそういう議論ばかりにすりかえられてしまう。そうじゃなくてもっと本質的な議論をしないといけません。ハイチ、エルサルバドル、フィリピンで2008年に何が起こったか、米の在庫は世界的にあったのですが不安心理で各国がお米を売ってくれなくなったからお金を出してもお米が買えなくてハイチでは死者が出たわけです。米国に言われて米の関税をほとんどゼロにしてしまって輸入すればいいと思っていたらこういうことが起きたのだから、日本だってこれからは他人事じゃないんだということですね。これがまず基本です。
ブッシュ前大統領も、農業関係者への演説では日本を皮肉るような話をよくしていました。「食料自給はナショナルセキュリテイの問題だ。皆さんのおかげでそれが常に保たれている米国はなんとありがたいことか。それにひきかえ、(どこの国のことかわかると思うけれども)食料自給できない国を想像できるか。それは国際的圧力と危険にさらされている国だ。(そのようにしたのも我々だが、もっともっと徹底しよう。)」
競争力でなく食料戦略が米国の輸出力を支える
そして、米国は徹底した戦略によって輸出国になっているということです。米国にとって食料は武器なのです。世界をコントロールする為の一番安い武器です。それによって我々は振り回されているし、もっともっと振り回されるということをどう考えますか。米国ではお米などを安く売るために毎年1兆円使っています。安く売って農家の皆さんにしっかり生産してもらうためにです。米と小麦とトウモロコシの三品目を1兆円使って差額補填して輸出しています。日本のお米もおいしいと言いますが、日本は輸出補助金ゼロです。1兆円対ゼロです。
ですから日本の農産物ももっと輸出しましょうと、言いますけれども日本ではそういう輸出促進のためのお金は使えないんです。なぜか。米国から日本は使ってはだめだと言われているからです。事故米もそうで、なぜ食べられもしないお米を全量輸入してカビを生やさなければならないか、最低輸入義務なんてどこにも書いていないのに日本だけがやっています、その本当の理由は米国から指示されているからです。
日本は従属してしか生きていけないのか
これがTPPにもつながっています。要するに日本は米国の言うことを聞いて成り立っている国なんだと。すでに従属関係にあり、日本はこの従属関係を完結することによってしか生きていけない国なんだから、TPPは何とありがたいことだと、そういう声がちらほら聞こえてきます。それが証拠に民主党の経済連携プロジェクトチームの事務局長がこう言ったと言われています。「日本が主権を主張するのは50年早い」と。こういうことを言いながらTPPを決めているのが本当であるとすれば由々しき事態です。日本という国は自分達の食料は、自分達の国のことは自分達で考えてはいけないんですかということがまさに問われているということです。
日本人が自らを否定してしまって良いのか
日米安保条約で守ってもらっているから仕方ないというのは幻想でしょう。かりに、いざというときに米軍がいてくれることが有効であったとしても、だから、常に米国に従わざるを得ないわけでは全くありません。敗戦によって日本人が否定されたかのような卑下の仕方は間違っています。対等に主張できてこそ、本当の「同盟国」ではないでしょうか。
(注) 2008年のような国際的な食料価格高騰が起きるのは、農産物の貿易量が小さいからであり、貿易自由化を徹底して貿易量を増やすことが食料価格の安定化と食料安全保障につながるという見解がある。しかし、逆に、2008年のような「バブル」(需給実勢から説明できない価格高騰)が生じやすい原因の一つは、世界的に農産物貿易の自由化が進んだからだという見方もできる。つまり、問題は、WTO(世界貿易機関)やFTA(自由貿易協定)による関税削減の進展で、穀物生産を縮小した国が増えて穀物輸出国が少数化しているため、需給変化に対する価格上昇が激しくなっており、そのため、高値期待で投機マネーが入りやすく、不安心理で輸出規制も起きやすくなり、価格上昇がさらに増幅される、という構造である。この見解に立てば、貿易自由化の徹底こそが、価格高騰を増幅し、食料安全保障に不安を生じさせることになる。ハイチでは、IMF(国際通貨基金)の融資条件として、1995年に、米国から米関税の3%までの引き下げを約束させられ、米生産が大幅に減少し、米輸入に頼る構造になっていたところに、2008年の米輸出規制で、死者まで出ることになった。米在庫は世界的には減少していなかったのに、不安心理で輸出規制が多発したからである。2008年の「食料危機」を受けて開催された洞爺湖サミットの宣言では、一方で、それぞれの国が自国で食料生産を確保する重要性を認識し、世界の食料安全保障のために、途上国の食料増産を支援する必要性を強調した。しかし、もう一方で、WTO等による自由貿易を推進するとした。この二つは両立するだろうか。貿易自由化の徹底は、高コストな農業生産は縮小し、食料輸入を増やすという国際分業を推進するから、日本や途上国の生産は縮小する。途上国に農業生産増大の支援をしても、貿易自由化で安い輸入品が流入すれば、国産は振興できない。つまり、貿易自由化の徹底が各国の食料増産につながり、食料安全保障が強化されるという論理には無理があるように思われる。確かに、外部効果(多面的機能)の考慮を国境措置において行う代わりに、国内的な直接支払いで行うべきだとの考え方はある。しかし、それは、大きな財政負担を伴うものであり、財政負担の増加に耐えられない国は実現不可能である。我が国においても、先に示したように、米だけでも2兆円近い毎年の政府支出が可能かと考えると、現実的ではない。途上国においては、なおさらである。また、関税より直接支払いの方が経済厚生上の損失が少ないことが強調されるが、それが「常に」言えるのは、輸入が増えても国際価格が上昇しないという「小国の仮定」が成立する場合にかぎることは案外忘れられている。実際には、輸入が増えれば、なにがしかの国際価格上昇は必ず生じるので、「小国の仮定」というのは架空のものである。特に日本のような国が輸入を増やせば、輸入量が多いので、国際価格への影響を無視することは難しくなる。国際価格の上昇を前提とすると、関税撤廃により失う関税収入と発生する直接支払い額の合計のほうが増加する消費者の利益よりも大きくなる場合も考えられ、その場合は、関税を直接支払いに変更すると、経済厚生はむしろ低下してしまう。
12. 過保護な日本農業にショック療法を?
しかも、農業は過保護なんだからTPPでショック療法しなければいけないんじゃないのかと思っている人がいるかもしれませんが、これも間違いです。実はさっきの1兆円の補助金と補助金なしの日本でもそうですが、TPPをやっても米国は1兆円の補助金を使い放題で、日本は全てゼロ関税、不公平ですよね。しかも日本の農業所得に占める補助金の割合は15.6%しかありません。世界で最も少ないほうです。
米国の稲作、あの巨大な300haの稲作でも所得の60%は補助金です。ヨーロッパの各国の農業所得にいたっては95%くらいが補助金です。こんなの産業かと思われるかもしれませんが、これだけ食料というのは命を守り、国土を守り、国境も守っているということで、徹底して国家で支えるという国がけっこうあるということです。それに対して日本では所得も支えていません。価格を支える制度も全部やめたのは日本だけです。だから過保護だから耕作放棄地が増えているとか自給率が下がっているとかいうのは残念ながらウソです。ほんとに現場で効果が実感できる政策がもっともっと浸透していれば農業はもっと元気になるはずです。逆です。
米国は競争力があるから輸出国なのかと思ったら、競争力はないのです。米の生産コストもタイやベトナムの2倍もするのにさっき言ったように1兆円もの巨額の補助金を使うことによって輸出を増やしています。生産コストから見れば輸入国になっているはずの米国が生産量の半分以上を輸出しています。競争力があるから米国が輸出国なのではなくて、これは徹底した戦略があるからなのです。日本は過保護だから自給率が下がったのではなく、現場で効果が実感できる戦略的支援が足りないからそうなっているのです。これまでも、関税も国内保護も削減し続け、米価も10年で半分になってしまいました。これ以上、食料・農業について徹底した自由化をすれば、そのときは自給率は13%まで下がると試算されています。正念場です。
13. いまこそ冷静な選択を
アジア、EUとの柔軟で互恵的な経済連携が世界の均衡ある発展につながる
TPPやって自給率13%になったら、皆さん、何を食べるのですか。このことをきちんと議論しなければなりません。しかも農業・食料だけではありません。ほとんどの分野が損失を被り、日本国民のほとんどは苦しくなる、そして、先ほどのように、日本のメリットは誤差の範囲くらいしかありません。だったらなぜ、アジアやEUとの柔軟性があり、お互いを思いやって例外もそれなりに認めながら、お互いが幸せになれるような経済連携を進めないのですか、特に共通性の高いアジアと。共通性があってこれから発展できるのは、誰が考えたってアジアです。そういう国々ときちんとした関係を作ることがいかに重要か。それができれば米国とももっときちんとした対等の友好関係ができるじゃないですか。
「TPPでアジアの成長を取り込む、TPPがアジア太平洋のルールになるから乗り遅れるな」のウソ
ところが米国がそれを絶対許さないと言っているわけですね。アジアが米国抜きでまとまることは絶対許さない、だから分断する、TPPは極め付けです。TPPでアジアを分断してアジアの利益をつまみ食いできると。TPPを推進する皆さんが言う。TPPがアジア・太平洋のルールになるから入らないと日本がガラパゴスになるとかアジアの成長を取り込むにはTPPとかいうのはウソです。米国は説明します、TPPは中国包囲網だと、日本は中国が怖いのだから入らなけりゃだめでしょと。中国は警戒して入ってきません。韓国もタイもインドネシアもインドもNOと言っています。アジアの国々は分断されて、それで米国にはちょうど都合がいい。でも、日本が入っちゃったから、アジアの国々もどんどん入り始めて、中国も最後に包囲されて入らざるを得ないようなことになったら、アジアや世界の本当に幸せな社会はつぶされてしまいます。
ASEANは偉いですよ、ハワイのすぐ後に声明を出しましたね。TPPのようなものが仮にアジアに影響することになったら、アジアの途上国の将来はない、アジアに適した柔軟で互恵的なルールはASEANが提案すると。それを提案すべきは日本じゃないですか。その日本が、誰が見ても、米国に尻尾を振ってついていけばなんとかなるみたいな思考停止状態になっているのです。米国も馬鹿にしていますよ、「何も考えないでよくついてくるな」と。こんなことをやっていていいのか。
アジアとの連携も具体化してきています。日中韓FTAは12月16日に事前交渉を終えました。私も委員をやっていますが、2012年中には政府間交渉が始まります。中国の方が問題じゃないかと言っている方もおりますが、先ほどから言っているように、アジアとは柔軟性のある形で協定が結べるので、そこは全然違います。それからEUも動きました。日・EUをもっと進めようと言っています。EU代表部の方が来られた時のことです。日本は訳がわからない、いままでのFTAでは柔軟に、適切な関税と適切な国内対策で農業を強くしようといっていたのに、同じ日本が今度はTPPですべてゼロ関税にしてもいいと言っている。なぜ同じ頭でそんなことがいっぺんに言えるのかと。私は説明に困りまして、悩まないで下さい、これは何も考えていないからこういうことになるんだと答えましたら、大変納得してくれました。国としては最悪の状態ですが。
このように、EUもアジアの国々も動いているわけだから、これをもっと具体的に日本もリードして、アジア、そして世界の人々が幸せになれるような経済連携を進めていこうじゃないかと。こういうことをやらずに、TPPがまずできて、全て何もなしの世界ができてしまったら、柔軟な協定はもうできなくなります。どれもこれもやればいいじゃないかというのはウソです。TPPをやっちゃったらほかのものが潰れてしまうわけですよ。まずTPPといかに距離をおいて他のものを具体化するかを進めなければなりません。もちろん米国を排除するわけではありません。米国が柔軟で互恵的な経済連携に入りたいと言うなら、拒む必要はありません。
しかし、いまの状態だと、気が付いたら、情報も出さずに議論もせずに、すみません、TPPに入ってしまいました、もう終わりです、と言われてしまいます。こんなことを傍観しているわけにはいきません。ぜひみんなの力でそれをやらなければなりません。
14. 強い農林水産業のための対案
農林水産業関係者を中心にTPP反対の運動が進みつつあるのに対して、「日本の農林水産業はTPPを拒否するだけでやっていけるのですか。TPPがなくても、日本の農林水産業は、高齢化、就業人口の減少、耕作放棄などで疲弊しつつあります。どういう取組みをすれば農林水産業は元気になるのか。TPPがだめだというなら対案を出してほしい」という指摘があります。
TPPの懸念で農村現場がすでに壊されている
筆者が現場をまわっていて一番心配しているのは、「これから息子が継いでくれて規模拡大しようとしていたのだが、もうやめたい」と肩を落とす農家が増えていることです。TPP問題が長引くと、将来の投資計画も進められないから、現場の動揺と憔悴が広がってしまう。すでに、被災地のみならず、こうした事態が深刻化しています。まず、こういう後向きの思考に歯止めをかけねばなりません。そうではなくて、TPPの議論を契機に、農林漁家がもっと元気になるための取組み、現場で本当に効果が実感できる政策とは何かということを、いろいろな方が関心をもってきてくれているいま、地域全体で前向きに議論をする機会にしなくてはならないのです。
農の価値と食の未来をみんなで考える前向きの議論に
農林水産業の営みというのは、健全な国土環境と国民の心身を守り育むという、大きな社会的使命を担っています。その大きな思いと誇り、そして自らの経営力・技術力を信じることが、厳しいときにも、常に前を向いて進んでいく底力を生み出してくれます。簡単にへこたれるわけにはいきません。
元気で持続的な農業発展のためには、禁止的な高関税でも、徹底したゼロ関税でもなく、その中間の適度な関税と適度な国内対策との実現可能な最適の組合せを選択し、高品質な農産物を少しでも安く売っていく努力を促進することです。
筆者らは、水田の4割も抑制するために農業予算を投入するのではなく、国内生産基盤をフルに活かして、「いいものを少しでも安く」売ることで販路を拡大する戦略へと重心をかえていく必要性をかねてより指摘しています。そのためには、米粉、飼料米などに主食米と同等以上の所得を補てんし、販路拡大とともに備蓄機能も活用しながら、将来的には主食の割り当ても必要なくなるように、全国的な適地適作へと誘導すべきです。
さらに、将来的には日本の米で世界に貢献することも視野に入れて、日本からの輸出や食料援助を増やす戦略も重要です。備蓄運用も含めて、そのために必要な予算は、日本と世界の安全保障につながる防衛予算でもあり、海外援助予算でもあるから、狭い農水予算の枠を超えた国家戦略予算をつけられるように、予算査定システムの抜本的改革が求められる。米国の食料戦略を支える仕組みは、この考え方に基づいています。
地域の中心的な「担い手」への重点的な支援強化も必要です。今後農業をリタイアされる方がいる一方で、就農意欲のある若者や他産業からの参入も増加傾向にあります。だが、新規参入される方の経営安定までには時間がかかり、長らく赤字を抱える方が多いのが実態なので、フランスのように、新規参入者に対して十年間くらいの長期的な支援プログラムを準備するなど、集中的な経営安定対策を仕組むことが必要です。
一方、兼業農家の果たす役割にも注目すべきです。兼業農家の現在の主たる担い手が高齢化していても、兼業に出ていた次の世代の方が定年帰農し、また、その次の世代が主として農外の仕事に就いて、という循環で、若手ではなくとも稲作の担い手が確保されるなら、こうした経営は、「家」総体としては合理的で安定的です。つまりそれは、一種の「強い」ビジネスモデルなのであり、こうした循環を「定年帰農奨励金」でサポートすることも考えられます。
また、集落営農などで、他産業並みの給与水準が実現できないためにオペレーターの定着に苦労しているケースが多いので、状況に応じてオペレーター給与が確保できるシステムづくりと集中的な財政支援を行うことも効果的でしょう。20~30ha規模の集落営農型の経営で、十分な所得を得られる専従者と、農地の出し手であり軽作業を分担する担い手でもある多数の構成員とが、しっかり役割分担しつつ成功しているような持続可能な経営モデルを確立することが関係者に求められています。その一方、農業が存在することによって生み出される多面的機能の価値に対する農家全体への支払いは、社会政策として強化する必要があります。これは、担い手などを重点的に支援する産業政策としっかり区別して、メリハリを強める必要があります。
被災地の復旧・復興ということを考えるときにも基本になるのは、「コミュニティの再生」です。「大規模化して、企業がやれば、強い農業になる」という議論は単純すぎて、そこに人々が住んでいて、暮らしがあり、生業があり、コミュニティがあるという視点が欠落しています。そもそも、個別経営も集落営農型のシステムも、自己の目先の利益だけを考えているものは成功していません。成功している方は、地域全体の将来とそこに暮らすみんなの発展を考えて経営しています。だからこそ、信頼が生まれて農地が集まり、地域の人々が役割分担して、水管理や畦の草刈りなども可能になります。そうして、経営も地域全体も共に元気に維持されます。20~30ha規模の経営というのは、そういう地域での支え合いで成り立つのであり、ガラガラポンして1社の企業経営がやればよいという考え方とは決定的に違います。それではうまく行かないし、地域コミュニティは成立しない。これを混同してはいけません。
こうした政策と、TPPのような極端な関税撤廃とは相容れません。TPPはこれまでの農家の努力を水の泡にします。自由化は、もっと柔軟な形で、適切な関税引き下げ水準と国内差額補てんとの組合せとを模索しながら行う必要があります。つまり、「農業対策を準備すればTPPに参加できる」というのは間違いです。「TPPでは対策の準備のしようがない」のであり、TPPでは「強い農業」は成立できません。
15. 自分たちの食は自分たちが守る
「高くてもモノが違うからあなたのものしか食べたくない」
日本において「強い農業」と言えるのは、一体どのような農業なのか。単純に規模拡大してコストダウンすることではありません。それでは、同じ土俵で豪州と競争することになり、とうてい勝負になりません。基本的に日本の農業は豪州などよりも小規模なのだから、少々高いのは当たり前で、高いけれども徹底的にモノが違うからあなたのものしか食べたくない、という生産者と消費者の「つながり」が本当に強い農業の源になります。
それは、スイスではすでに実践されています。そのキーワードは、ナチュラル、オーガニック、アニマル・ウェルフェア(動物福祉)、バイオダイバーシティ(生物多様性)、そして景観です。生産コストだけではなく、こういった様々な要素を生産過程において考慮して、丁寧な農業をすれば、できたものは人の健康にも優しく本当においしい。このことが国民全体で理解されているから、生産コストが周辺の国々よりも3割も4割も高くても、決して負けてはいません。
例えば、スイスで小学生ぐらいの女の子が1個80円もする国産の卵を買っていたので、なぜ輸入品よりはるかに高い卵を買うのか聞いた人がいました。その子は「これを買うことで、農家の皆さんの生活が支えられる。そのおかげで私たちの生活が成り立つのだから当たり前でしょ」と、いとも簡単に答えたそうです(元NHKの倉石久壽氏)。ロンドンでもそうであったが、欧州では、そもそも、「放し飼い」の鶏卵が当たり前で、日本は相当に水を開けられている感があります。日本の消費者は価値観が貧困だから駄目だといってしまえば、身も蓋もないが、スイスがここまでになるには、本物の価値を伝えるための関係者の方々の並々ならない努力がありました。日本も努力はしているが、一番違うのは、スイスではミグロ(Migros)などの生協が食品流通の大半のシェアを占めているので、生協が「本物にはこの値段が必要なんだ」と言えば、それが通ります。日本の場合は、農協にも生協にも、1組織でそれだけの大きな価格形成力はありません。しかし、個々の組織の力は大きくなくても、ネットワークを強めていくことで、かなりのことができるようになります。
スイスでは、ミグロと農協等が連携して、基準を設定・認証して、環境、景観、動物愛護、生物多様性に配慮して生産された「物語」と、できた農産物の価値を製品に語らせて販売拡大を進めた結果、それがスイス全体に普及しました。そこで、それを政府が公的な基準値に採用することになり、一方、ミグロは、それでは差別化ができなくなるため、さらに進んだ取組や基準を開発して独自の認証を行うというサイクルで、農産物価値のアップグレードと消費者の国産農産物への信頼強化に好循環が生まれています。こうした農家、農協、生協、消費者等との連携強化は、我が国でも期待したいところです。
農業が地域コミュニティの基盤を形成していることを実感し、食料が身近で手に入る価値を共有し、地域住民と農家が支え合うプロジェクト
日本でも、農業が地域コミュニティの基盤を形成していることを実感し、食料が身近で手に入る価値を共有し、地域住民と農家が支え合うことで自分たちの食の未来を切り開こうという自発的な地域プロジェクトが芽生えつつあります。「身近に農があることは、どんな保険にも勝る安心」(結城登美雄氏)、地域の農地が荒れ、美しい農村景観が失われれば、観光産業も成り立たなくなるし、商店街も寂れ、地域全体が衰退していく。これを食い止めるため、地域の旅館等が中心になり、農家の手取りが、米一俵18,000円確保できるように購入し、おにぎりをつくったり、加工したり、工夫して販路を開拓している地域もあります。
こうした動きが広がることこそが海外に負けずに国産農産物が売れ、条件の不利な日本で農業が産業として成立するための基礎条件であり、こうした流れを地域に創り出すトータル・コーディネーターとしての大きな役割も関係者に求められています。この流れが全国的なうねりとなることによって、何物にも負けない真の「強い農業」が形成されます。
また、スイスの卵の例のように、あれだけ高く買われていても、スイスでは生産費用も高いので、高くても買おうというときの理由と同様の根拠(環境、動物福祉、生物多様性、景観等)に基づいて、スイスの農家の農業所得の95%が政府からの直接支払いで形成されています。イタリアの稲作地帯では、水田にオタマジャクシが棲めるという生物多様性、ダムとしての洪水防止機能、水を濾過してくれる機能、こういう機能が米の値段に十分反映できてないなら、みんなでしっかりとお金を集めて払わないといけないとの感覚が直接支払いの根拠になっています。
根拠をしっかりと積み上げ、予算化し、国民の理解を得ています。スイスでは、環境支払い(豚の食事場所と寝床を区分し、外にも自由に出て行けるように飼うと)230万円、生物多様性維持への特別支払い(草刈りをし、木を切り、雑木林化を防ぐことでより多くの生物種を維持する作業)170万円など、きめ細かいです。消費者が納得しているから、直接支払いもバラマキとは言われないし、生産者は誇りをもって農業をやっていけます(安く売って補填で凌ぐのでは誇りを失うとの農家の声も多いので、農家の努力に見合う価格形成を維持し、高く買ったメーカーや消費者に補填するような政策も検討すべきでしょう)。一方の日本での漠然とした「多面的機能論」は、国民からは保護の言い訳だと言われてしまいます。こういう点でも、日本は欧州に水を開けられてしまっています。もっと具体的な指標に基づいて、理解促進を急がねばなりません。
食に安さだけを追求することは命を削り、次世代に負担を強いること
それから、2010年の日本の米価下落を思い起こすと、戸別所得補償制度ができたから安く買いたたこうという人が出てきたと言われますが、卸や小売が一時的に儲かったと思っても、それで生産サイドがさらに苦しくなって作ってくれる人がいなくなってしまったら、卸や小売のビジネスも成り立たなくなります。消費者も、安く買えるからいいと思っていたら、作る人がいなくなってしまいます。だから、買いたたきや安売りをしても、結局誰も幸せになれません。皆が持続的に幸せになれるような適正な価格形成を関係者が一緒に検討すべきです。それはヨーロッパではかなりできている国もあるようですが(新山、2009)、日本はまだまだです。
食料に安さだけを追求することは、命を削ることと同じです。また、次の世代に負担を強いることにもなります。そのような覚悟があるのかどうか、ぜひ考えてほしいのです。
食の安全にかかわる重大な情報が開示されていない
一例ですが、もしTPPに参加すれば、米国の乳製品がどんどん入ってくる可能性がありますが、それには健康上の不安があります。米国では、1994年以来、rbSTという遺伝子組換えの成長ホルモンを乳牛に注射して生産量の増加を図っています。このホルモンを販売したM社は、もし日本の酪農家に売っても消費者が拒否反応を示すだろうからと言って、日本での認可申請を見送りました。そして、「絶対大丈夫、大丈夫」と認可官庁と製薬会社と試験をしたC大学(この3社を筆者は「疑惑のトライアングル」と呼んでいます。なぜなら、認可官庁と製薬会社は「天下り」(または「回転ドア」)人事交流、製薬会社の巨額の研究費で試験結果をC大学が認可官庁に提出するからである)が大合唱していたにもかかわらず、最近では、米国でも、乳がんとか前立腺がんの倍率が高まるという医学的検証が出てきたものだから、スターバックスやウォルマートを始め、rbST使用乳を取り扱わない店がどんどん増えています。しかし、認可もされていない日本では、米国からの輸入によってrbST使用乳は素通りになっていて、消費者は知らずにそれを食べているというのが実態です。輸入ものが全部悪いとは言わないけれども、こういうこともあるんですよということを伝えることは重要です(注)。
人々の健康に責任を持つ仕事に携わる人の使命
福岡県の郊外のある駅前のフランス料理店で食事したときに、そのお店のフランス人の奥様が話してくれた内容が心に残っています。「私達はお客さんの健康に責任があるから、顔の見える関係の地元で旬にとれた食材だけを大切に料理して提供している。そうすれば安全で美味しいものが間違いなくお出しできる。輸入物は安いけれど不安だ。」と切々と語っていました。確かに、フランスには、こういう感覚があるようです。
図11 疑惑のトライアングルの相互依存関係
出所:鈴木宣弘『寡占的フードシステムへの計量的接近』農業統計協会、2002年
また、私の家がお世話になった産婦人科医の先生がよく言っていたのは、「最近の子供のアレルギーやアトピーは親の食生活と密接に関連していることは間違いない。高くても、よいものを食べないとだめだ。」お医者さんの言葉も説得力があります。
さらには、医療ジャーナリスト宇山恵子氏が、米国ミシガン大学公衆衛生学科のRobert De Vogli准教授らが、同大学発表ニュースリリースに掲載した研究を『ヘルス&ビューティー・レビュー』に紹介しているのが興味深いですね。世界の26か国を対象に、人口10万人当たりのファーストフード店の数と肥満者の割合を比較した結果、ファーストフード店の数は、10万人当たり、アメリカが7.52店、カナダが7.43店で、肥満者の割合はアメリカ男性が31.3%、女性が33.2%、カナダの男性が23.2%、女性が22.9%だったのに対して、日本とノルウェーのファーストフード店の数は10万人当たり日本が0.13店、ノルウェーが0.19店で、日本の肥満率は男性が2.9%、女性が3.3%、ノルウェーの男性が6.4%、女性が5.95だったというのです。ファーストフード店の密度と肥満率(つまり、安い食事への依存度と肥満率)には密接な関係がありそうです。
(注) あまり言われていないが、窒素の問題も非常に重要である。窒素総供給/農地受入限界比率は、現状192.3、つまり1.9倍になっているが、これは環境における窒素の過剰率の指標の一つで、日本の農業が次第に縮小してきている下で、日本の農地・草地が減って、窒素を循環する機能が低下してきている一方、日本は国内の農地の3倍にも及ぶ農地を海外に借りているようなもので、そこから出来た窒素等の栄養分だけ輸入しているから、日本の農業で循環し切れない窒素がどんどん国内の環境に入ってくるわけで、その比率が1.9倍だということだが、TPPで水田が崩壊すれば、それが2.7倍まで高まると我々は試算した(表1)。現在、我が国では、牛が硝酸態窒素の多い牧草を食べて、「ポックリ病」で年間100頭程度死亡しているが、硝酸態窒素の多い水や野菜は、幼児の酸欠症や消化器系ガンの発症リスクの高まりといった形で人間の健康にも深刻な影響を及ぼす可能性が指摘されている。糖尿病、アトピーとの因果関係も疑われている。乳児の酸欠症は、欧米では、30年以上前からブルーベビー事件として大問題になった。我が国では、ほうれんそうの生の裏ごし等を離乳食として与える時期が遅いから心配ないとされてきたが、実は、日本でも、死亡事故には至らなかったが、硝酸態窒素濃度の高い井戸水を沸かして溶いた粉ミルクで乳児が重度の酸欠症状に陥った例が報告されている(小児科臨床1996)。乳児の突然死の何割かは、実はこれではなかったかとも疑われ始めている。
同時に、表1は、わずか数%というようなコメ自給率の大幅な低下による安全保障上の不安、バーチャル・ウォーターの22倍の増加やフード・マイレージの10倍の増加による環境負荷の大幅増大、といったマイナス面も多くなることを数値で示している。日本についてのバーチャル・ウォーター(東大の沖大幹教授による)とは、輸入されたコメをかりに日本で作ったとしたら、どれだけの水が必要かという仮想的な水必要量の試算である。つまり、コメ輸入の増加は、それだけ国際的な水需給を逼迫させる可能性を意味する。フード・マイレージとは、輸入相手国別の食料輸入量に、当該国から輸入国までの輸送距離を乗じ、その国別の数値を累計して求められるもので、単位はtkm(トン・キロメートル)で表わされ、遠距離輸送に伴う消費エネルギー量増加による環境負荷増大の指標となる(農林水産省の中田哲也氏らによる)。食料自給率の低下、及びそれに付随するこれらの外部効果指標は、表1のような技術指標としての数値化は可能だが、それを簡単に金額換算して、狭義の経済性指標の純利益の1兆円と、単純に比較できるものではない。しかし、だからといって、狭義の1兆円の利益よりも軽視されていいというものではない。社会全体で十分に議論し、様々な人々の価値判断も考慮し、適切なウエイトを用いて、総合的な判断を行うべきものであろう。
表1 コメ関税撤廃の経済厚生・自給率・環境指標への影響試算
おわりに
ただ、TPPを進めようと政府がここまで前のりになっているので、いろいろな圧力もかかってまいります。私にも、そろそろ将来のことを考えてトーンダウンした方が身のためではないかとありがたい忠告もいただいております。TPPはまさに超大国米国と覇権国家としてどんどん成長している中国とのはざまで、日本が独立国として、如何にしたたかに政治外交をやっていくかという難しい問題と絡みますので、できれば関わりたくない部分もあります。けれども、皆さんはこの問題から我々が逃げるわけにはいかないということを一番わかっておられる方々だと思いますので、この場に来られたのも「運のつき」ということで、さらに覚悟を決めていただきまして、この問題の議論を何とか正常化し、そのうえできちんとした結論を出すと。それなくしてこの問題を勝手に進めることは許さないということをいまこそきちんと表明しなければなりません。「許せないものとは闘う」しかありません。
ある県の青年農業者達が提案されました。「国会に座り込んでも事態は動かなかった。こんどはトラクターで国会に突入しようと思う。逮捕者が出たら、みんなでお金を集めて、一生のめんどうはみることにしよう。」このような行動が真に効果的かどうかは議論がありましょうが、ともかく、まず、その切羽詰まった気持ちをみんなが共有すべきと思い、全国でこの話をしました。そうすると、ほとんどの農家やJAのみなさんが、「そのときは、私たちも一緒に行くよ。その代わり、鈴木さんも一緒にトラクターに乗るんだろうね。」という話になりました。こういう行動の是非に少し躊躇していた矢先に、フランス人の女性が、筆者のセミナーを聞きに来てくれていて、終了後に話す機会がありました。「日本人はおとなしすぎる。フランスを見て下さい。やるときは徹底しなくては。徹底すれば、政府は動かせる。」
何のために政治家がいるのか
そして、民意を代表する政治家の皆さんが、いまこそ覚悟を決めて動かなければいつ動くのでしょうか。何のために日本に政治家がいるのかが問われています。地元に帰ると「TPP反対」と言い、東京に戻ると「・・・」と言っている方も多いようです。悪いことをしてきた政治家もたくさんいるでしょうが、最後に一度でも国のために命をかけて戦って政治生命を終えたらどうかと、そのくらい大変な時なんだということを国民がきちんと伝えていかないとなりません。政治家を動かすのは国民ですだから、みんなが、「プラスワン運動」として、まわりを一人でも二人でも巻きこんで、情報が不十分な人に理解の輪を広げていただきたい。
保身と見返りを求めて、国民を見捨てて生き延びても、そんな人生は楽しいか
いまこそ問いたい。日本では、自己や組織の目先の利益、保身、責任逃れが「行動原理」のキーワードにみえることが多いですが、それは日本全体が泥船に乗って沈んでいくことなのだということを、いま一度、肝に銘じるときではありませんか。とりわけ、日本に政治家や官僚がいる意味が問われています。いくつになっても、保身と見返りを求めて、国民を見捨てて生き延びても、そんな人生は楽しいでしょうか。日本にも本当に立派な政治家が、官僚がいたな、と言われて、政治生命を、職務を全うしてほしいものです。それこそが、実は、自らも含めて、社会全体を救うのではないでしょうか。国会議員も、与野党を超えて大同団結してもらいたい。
支え合う社会を取り戻そう
幕末に日本に来た西洋人が、質素ながらも地域の人々が支え合いながら暮らす日本社会に「豊かさ」を感じたように、もともと我々は、貧富を問わず、またハンディのある人も、分け隔てなく共存して助け合って暮らしていける「ぬくもりある」地域社会を目指してきました。いま、踏みとどまって、大震災においても見直された「絆」を大事にする日本人の本来の生き方を取り戻さないと、取り返しのつかないことになりかねません(注)。
ここにお集まりの皆さん一人ひとりが、ご自身の地域の十年後の姿をもう一度シミュレーションしていただいて、それを自身が必ず支えていく覚悟を新たにし、次の世代も必ず育てる覚悟も新たにし、その努力を根底から崩してしまいかねないTPPの議論を何とか正常化していきましょう。
(注) 秘書の日下京さんから『逝きし日の面影』(渡辺京二著、葦書房、1998年)という本の興味深い内容を紹介された。以下に3箇所を引用させていただく(篠原孝先生の御高著『TPPはいらない』にも同様の引用がある)。
ハリス(Townsend Harris 1804~78)が、1856年(安政三)年9月4日、下田玉泉寺のアメリカ領事館に「この帝国におけるこれまでで最初の領事旗」を掲げたその日の日記に、「厳粛な反省―変化の前兆―疑いもなく新しい時代が始まる。あえて問う。日本の真の幸福となるだろうか」としるしたのは、まさに予見的な例といってよかろう。
ヒュースケン(Henry Heusken 1832~61)は有能な通訳として、ハリスに形影のごとくつき従った人であるが、江戸で幕府有司と通商条約をめぐって交渉が続く1857年(安政四)年12月7日の日記に、次のように記した。「いまや私がいとしさを覚えはじめている国よ。この進歩はほんとうにお前のための文明なのか。この国の人々の質撲な習俗とともに、その飾りけのなさを私は賛美する。この国土のゆたかさを見、いたるところに満ちている子供たちの愉しい笑声を聞き、そしてどこにも悲愴なものを見いだすことができなかった私は、おお、神よ、この幸福な情景がいまや終わりを迎えようとしており、西洋の人々が彼らの重大な悪徳をもちこもうとしているように思われてならない」。ヒュースケンはこのとき、すでに1年2ヵ月の観察期間をもっていたのであるから、けっして単なる旅行者の安っぽい感傷を語ったわけではない。
ポンペと同時期長崎に滞在したポルスブルックは、1858年初めて江戸入りした時、おなじような感想を抱いた。「私の思うところヨーロッパのどの国民より高い教養を持っているこの平和な国民に、我々の教養や宗教が押しつけられねばならないのだ。私は痛恨の念を持って、我々の侵略がこの国と国民にもたらす結果を思わずにいられない。時がたてば、分かるだろう」。
<講師略歴> 東京大学 大学院 農学国際専攻 教授 農学博士
鈴木宣弘 すずき・のぶひろ
1958年三重県生まれ。1982年東京大学農学部卒業。農林水産省、九州大学教授を経て、2006年より現職。専門は、農業経済学、国際貿易論。日中韓、日コロンビアFTA産官学共同研究会委員、財務省関税・外国為替等審議会委員、経済産業省産業構造審議会委員。JC総研所長も兼務する。主著に、『よくわかるTPP48のまちがい』(共著、農文協、2012年)、『震災復興とTPPを語る-再生のための対案』(共著、筑波書房、2011年)、『TPPと日本の国益』(共著、大成出版、2011年)、『食料を読む』(共著、日経文庫、2010年)、『現代の食料・農業問題―誤解から打開へ』(創森社、2008年)、『農のミッション』(全国農業会議所、2006年)等。
[補足資料] 消費者行動への誘因となる仕組みづくり
消費者アンケートを行うと、一般的に、「高くても国産農産物を買う」と答える消費者が90%にも達するのに、自給率はなぜ40%なのか、ということがしばしば問題にされます。その要因の一つは、消費者の実際の購買行動とのギャップであり、悪く言えば、多くの消費者は「嘘つき」だということです。
これに対処するには、具体的な行動に結びつくインセンティブ(誘因)を高める努力も必要です。例えば、フード・マイレージ(遠距離輸送に伴う消費エネルギー量増加による環境負荷増大の指標)の重要性から、「この国産の豚肉を買うと200gのCO2が削減できる」と表示されていても、それだけでは、隣に安い物があれば、そちらに手が出てしまう人が多いかもしれません。
そこで、日本の生協の関係者が実際に検討しているのが、韓国での取組みのようなポイント制にしてメリットを還元するシステムです。韓国では、食料だけでなく、企業や家庭で一定の算定ソフトに基づいて削減できたCO2量に応じて1ポイント=50円程度の率で、公共交通機関の利用券を配布するような制度を導入していると言われています。我が国で検討されているのは、具体的には、国産を買うことで節約されたCO2を生協の連合体でまとめて排出権取引で販売し、その収益を消費者に還元するというアイデアです。
さらには、「フード・マイレージはもう古い」というか、輸送に伴うCO2を考えるだけでは不十分だという考え方も出てきています。例えば、地場産であっても、施設園芸で大量の重油を燃やして生産したキュウリは、南米のチリから輸送したキュウリよりもCO2排出量が多いかもしれないということです。
英国では、ポテトチップスの袋に、ジャガイモの生産から加工、輸送を経て店頭に並び消費されるまでの全過程を合計したCO2排出量を記載するメーカーがありますし、先述のスイス最大の生協Migroでは、CO2 Championという取組みで、いくつかの商品に2008年から同様の表示を始めています。
これらは義務化されてはいませんが、このような生産・加工・流通・消費の全行程でのLCA(ライフ・サイクル・アセスメント)に基づくカーボン・フットプリント(CO2の足跡の総量把握)の考え方は重要で、我が国では、経済産業省が取り組んでいます。農林水産省も、CO2の「見える化」という表示の取組みを始めました。それらは、低投入、地産地消、旬産旬消が環境にもっとも優しいことを数値化して消費者に納得してもらう試みです。また、農林水産省では、国産農産物を購入することでポイントか貯まる仕組みも試行的に始めております。
(注)カーボンフットプリントを表示したものは、TescoのPB商品に見られた。1pint(パイント)当たりのCO2排出量として、全乳には900g、低脂肪乳には800g、無脂肪乳には700gと表示されている。Tescoは2009年に英国で始めて牛乳にカーボンフットプリントを表示した小売店であり、牛乳以外の他のPB商品にも表示を実施している。(木下順子氏による2011年10年のイングランド調査)
[ 12/08/20 政策・法律 ]